渾作戦
渾作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/09 05:53 UTC 版)
詳細は「渾作戦」を参照 連合艦隊はビアク島支隊の善戦を見て渾作戦を発令した。6月2日、海上機動第2旅団を乗せた輸送船団と、左近允尚正少将の率いる戦艦「扶桑」、重巡「妙高」「羽黒」「青葉」を基幹とする「渾部隊」がダバオから出撃した。ニューギニア方面では連合軍の洋上兵力はトーマス・C・キンケイド中将の率いる第7艦隊(重巡「オーストラリア」、軽巡「ボイシ」「フェニックス」・「ナッシュビル」基幹)しかなく、戦力は日本軍の方が優勢であった。だが日本軍は果敢にも出撃してきたキンケイド艦隊を空母機動部隊と誤認し、渾部隊にニューギニア島ソロンへの退避を命じる。 左近允少将は快速の駆逐艦による輸送の方が成功の可能性が高いと判断、渾部隊のうち駆逐艦6隻に海上機動第2旅団将兵の一部を載せて6月8日にソロンを出発した。だがアメリカ軍機の空襲により駆逐艦「春雨」が沈没、他の艦は午後10時にビアク島近海まで到達したが、キンケイド艦隊と遭遇したため脱出を余儀なくされた(ビアク島沖海戦)。こうして第二次作戦も失敗に終わった。 連合艦隊ではキンケイド艦隊を撃破しない限り渾作戦は無理と判断、6月10日、戦艦「大和」「武蔵」以下の戦力をハルマヘラ島に集結させ第三次作戦を発令した。だが翌11日、アメリカ機動部隊がマリアナ諸島へ来襲したとの報が伝わり、ビアク島どころではなくなり渾作戦は中止となった。
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渾作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:56 UTC 版)
「春雨 (白露型駆逐艦)」の記事における「渾作戦」の解説
詳細は「渾作戦」を参照 5月下旬、「あ号作戦」発動について発表が行われた。1943年以降各地に分散していた第27駆逐隊は定数4隻体制で作戦に参加することになった。予想される日米機動部隊決戦において、同隊は第二航空戦隊(空母隼鷹、飛鷹、龍鳳)を護衛したのち、米艦隊に水上戦闘を挑む計画であったという。だが5月27日にアメリカ軍がビアク島に上陸を開始した事にともない、第27駆逐隊は急遽渾作戦に投入されることになった。本作戦はビアク島への友軍支援と、アメリカ軍に対する陽動作戦(囮作戦)という二つの側面を持っていた。 第一次渾作戦時の艦隊は、第16戦隊司令官左近允尚正少将を総指揮官として、戦艦扶桑、第五戦隊(重巡洋艦羽黒、妙高)、第16戦隊(重巡洋艦青葉、軽巡洋艦鬼怒、第19駆逐隊《敷波、浦波》)、第10駆逐隊(風雲、朝雲)、第27駆逐隊(春雨、五月雨、白露、時雨)、敷設艦津軽、厳島、第127号輸送艦、第36号駆潜艇、第37号駆潜艇という戦力である。6月2日(3日とも)、艦隊はミンダナオ島ダバオを出発し、ビアク島へ向かう。翌3日、豊田副武連合艦隊司令長官より渾作戦一時中止命令が出される。アメリカ軍機動部隊出現の偵察報告があった為であるが、その報告は誤認であった。6月4日、豊田GF長官より「渾作戦を再び実施せよ」との命令が下される。第一次渾作戦参加艦艇から扶桑、青葉、津軽等が除外され、参加艦・駆逐艦6隻、人員600名、6月8日ビアク島上陸予定という作戦方針が通達される。第27駆逐隊はソロンに立ち寄ったのち、青葉、鬼怒と分離。6月8日午前3時、陸軍部隊を載せた駆逐艦6隻(敷波、浦波、春雨、時雨、白露、五月雨)はソロンを出発し、再びビアク島へ向かった。輸送隊は輸送隊と警戒隊に分割されており、第19駆逐隊(敷波、浦波)及び時雨が輸送隊、第27駆逐隊3隻(春雨《司令駆逐艦》、白露、五月雨)が警戒隊に任命されていた。 6月8日12時20分、第19駆逐隊・第27駆逐隊はアメリカ陸軍のB-25爆撃機とP-38戦闘機の襲撃を受けた。輸送隊3隻の前方に五月雨、左側に白露、右側に春雨が配置されていたとされる。時雨、白露、五月雨の損傷は軽微であった。だが、春雨は被弾して沈没。時雨の記録では12時32分、五月雨の記録では12時42分のこととなっている。第27駆逐隊司令白浜政七大佐も戦死した。アメリカ軍機が去った後、五月雨と白露が救助に向かい、時雨が警戒をおこなう。五月雨は内火艇を降ろし、士官4名、下士官兵79名を救助した。なお、第二次渾作戦部隊は春雨の沈没後もビアク島への輸送作戦を継続するが、夜になりアメリカ軍巡洋艦部隊に迎撃されて撤退。ビアク島への輸送は失敗した。ハルマヘラ諸島パジアンに帰投後、白露に救助されていた春雨の乗組員は五月雨に移乗してアンボン基地へ向かい、白露は時雨に合流すべくダバオへ向かった。一連の戦闘で約50名が戦死した。 8月10日、春雨白露型駆逐艦、第27駆逐隊、帝国駆逐艦籍より除籍された。
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