歴史的位置づけについてとは? わかりやすく解説

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歴史的位置づけについて

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 18:32 UTC 版)

神武天皇」の記事における「歴史的位置づけについて」の解説

神武天皇即位したという辛酉の歳は、そのまま西暦換算する紀元前660年であり、同時に弥生時代早期又は縄文時代末期に当たる。 明治時代歴史学者である那珂通世は、1897年著書上世年紀考』で「日本書紀」の記述批判して、「記紀紀年は、古代中国由来の、「辛酉」の年に天命が改まり、王朝代わり同時に正し改革行われる、特に21毎に大革命が起こるとする「辛酉革命説」に基づく記紀編者創作であろう」と論考した。その上で那珂は、「推古天皇治世の最も輝かし事跡601年辛酉にあったことから、その21回前の辛酉、つまり紀元601年からさらに60×21=1260年遡った紀元前660年あたりを神武即位年にしたのだろう」と推測した大正時代には、津田左右吉記紀成立過程に関して本格的な文献批判行い神話学民俗学成果援用しつつ、「神武天皇弥生時代何らかの事実反映したものではなく主として皇室による日本の統治に対して正統性』を付与する意図をもって編纂された日本神話一部として理解すべきである」とした。このため津田は「皇室尊厳冒瀆した」として出版法違反起訴され有罪判決受けた津田事件)。 津田の説に対す反論存在し神武実在性主張する論者もいる。安本美典神武東征邪馬台国東遷邪馬台国政権九州から畿内移動したという説)であるとする。古田武彦神武天皇実在主張するが、神武天皇開いた大和朝廷邪馬壱国九州王朝分家だとしている。田中卓初期天皇皇后出自伝承の素さが寧ろ系譜信憑性高めるとしている。宝賀寿男は『記紀』が古代地理事情残している点や、古代氏族系図トーテム習俗年暦に関する研究から天照大神から神武天皇までの皇統譜実在のものとした。田中や宝賀、古田神武東征出発地北部九州とする点で安本戦前通説とは異なる。久保田穰は初期天皇実在直接示唆するのは『記紀』であるが、ほぼ同時期の万葉集風土記、その他史書各種系図神社伝承などが『記紀』の内容支持するとした。志賀剛は神武天皇実在認めつつ、宇陀郡出身の人物として想定し東征前半部分虚構とする。武光誠西方文化集団畿内への到来銅鐸消滅時期一致することから神武天皇的な存在認めている。 なお現在神武天皇史学立ち位置は「神武天皇史的実在は、これを確認することも困難であるが、これを否認することも、より以上に困難なのである」であるとされるギネス世界記録では、神武天皇伝承元に皇室を「世界最古王朝(英:dynasty)」としているが、発行物には「現実的に4世紀」と記載している。 なお実在確実な継体天皇から数えても、現存する王朝としては世界最古にあたる。

※この「歴史的位置づけについて」の解説は、「神武天皇」の解説の一部です。
「歴史的位置づけについて」を含む「神武天皇」の記事については、「神武天皇」の概要を参照ください。

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