武田国信とは? わかりやすく解説

武田国信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 08:50 UTC 版)

武田国信(たけだ くにのぶ)


  1. ^ a b c d e f g h i j 今井尭ほか編 1984, p. 324.
  2. ^ 木下、2016年、P22
  3. ^ 『大乗院寺社雑事記』文明15年正月24日条


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武田国信(若狭武田氏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/24 13:21 UTC 版)

「武田国信」の記事における「武田国信(若狭武田氏)」の解説

武田 国信(たけだ くにのぶ)は、室町時代後期から戦国時代前期武将守護大名若狭丹後守護、安芸分郡守護若狭武田氏第3当主安芸武田氏当主武田信繁三男で、信栄、信賢の弟、元綱の兄。信親元信の父。通称は彦太郎官位治部少輔大膳大夫法名は玉院殿宗勲大居士生年嘉吉2年1442年ともされる元服当時三男2人の兄がまだ健在であったことから、若狭武田氏分家を継ぐ事が想定されていたとみられ、当時幕府実力者である畠山持国から偏諱得てその後ろ盾を得ようとしたと思われるまた、仮名の彦太郎は、若狭安芸武田家嫡男(この場合長兄の信栄)の通称が彦九郎であったことと関係あると考えられる家督継承前治部少輔任じられ足利義政御供衆となっていた。 応仁の乱では次兄信賢同様に細川勝元東軍属して土岐成頼らの西軍と戦うなど奮戦している。しかし、文明3年1471年)に弟元綱離反にも遭うなど苦戦強いられている。同年の兄の死後家督を継ぐとともに大膳大夫に任ぜられた。信賢に嫡子はいたが幼少であったため、国信家督を継ぐこととなる。この嫡子文明11年1479年)に15歳亡くなったとされるが、後の蠣崎信広とする伝承もある。ただし、信広については国信の子とする伝承もあり、若狭武田氏出自とする説は後世仮託可能性が高い。 文明6年1474年4月山名政豊細川政元和睦仲介役を務める。しかしこの時の和睦条件1つとして、武田氏応仁の乱最中一色義直戦って奪った丹後所領返還せよという条件があった。丹後に在陣中武田氏被官人はこれに不満で所領返還拒んだが、和睦参加した国信援軍丹後に送ることができなかった。丹後武田勢独力で一色氏と戦わざるを得ず9月主将逸見真正自害武田軍敗れて壊滅してしまった。国信落胆して出家し、宗勲と号したという。 文明13年1481年)に元綱和解文明15年1483年)には山城守護に任ぜられるが辞退している。長享元年1487年)に9代将軍足義尚六角高頼討伐長享・延徳の乱に従って出陣したが、延徳元年1489年)に義尚亡くなると遺骸付き添って京都戻った若狭帰国、翌2年1490年6月21日小浜病死した。享年54嫡子信親には文明17年1485年)に先立たれていたので、もう1人の子元信が跡を継いだ菩提寺は玉院。 国信文化人として優れており、和歌連歌の会をたびたび開いたという。 表 話 編 歴 若狭武田氏第3当主1471年 - 1475年)信栄 信国信 信親 元信 元光 信豊統 元明 | 断絶

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武田国信(因幡武田氏)

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「武田国信」の記事における「武田国信(因幡武田氏)」の解説

武田 国信(たけだ くにのぶ、生年不詳 - 天文14年1545年))は、戦国時代中期武将因幡守護山名氏家臣若狭武田氏傍流一族。子に又三郎高信官職山城守山名誠通家臣天文14年1545年)に久松山城(後の鳥取城)を改築したが、あまりに堅固過ぎたため、主君より謀叛疑念を買い謀殺された。後に息子高信山名氏に対して叛旗翻し一時因幡制圧することになる。 天文15年1546年10月伯耆南条宗勝助けて橋津川の戦い尼子氏戦った因幡山名氏の重臣として「武田豊前守常信」の名が記録に残るが、国信同一人物だったかは不明同一人物と見る説も存在する)。鳥取市在住中世史研究家高橋正弘によると、武田豊前守は鳥取城にあって但馬山名祐豊呼応して山名誠通殺害一役買ったとされる高橋正弘山陰戦国史諸問題・上』1993年)。

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