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ほそかわ-まさもと ほそかは― 【細川政元】

(1466-1507) 室町後期武将。勝元の子応仁の乱後、将軍足利義澄を擁して幕府掌握養子澄之・澄元・高国の家督争いにまき込まれ、澄之派の家臣香西氏らに殺された。


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細川政元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/31 15:36 UTC 版)

細川 政元(ほそかわ まさもと)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将守護大名管領足利氏庶流細川氏当主。幕臣ながら将軍をしのいで事実上の最高権力者となり、「半将軍」とも呼ばれた。

室町幕府三管領の1つとなった細川氏本家・京兆家の生まれ。父は応仁の乱時に東軍を率いた細川勝元で、母は不明。勝元の正室・山名熙貴の娘(養父は山名宗全)を母とする説もあるが、根拠となる史料は無い。修験道に没頭して独身を貫いたため実子はおらず、養子澄之澄元高国がいる。

管領として幕政を牛耳り、細川京兆家の全盛期を築いたが、3人の養子を迎えたことで家督争いが起こり、自らもその争いに巻き込まれて家臣に暗殺された(永正の錯乱)。




  1. ^ 旅行直前の2月13日九条政基の息子澄之を猶子に迎えたが、後継者を決める必要性と、澄之は清晃の母方の従兄弟に当たるため政知の連携を深める意図もあった。
  2. ^ 『三好長慶』〈人物叢書〉13頁。
  3. ^ 度々出奔した背景には成長して政務を執るようになった義澄との衝突があり、将軍独自の政治を目論んだ義澄に憤慨した政元は抗議の意味で放浪に出かけていった。義澄は京兆家の軍事力と命令上の手続きで京兆家の遵行手続きが必要であるため政元の帰京を促し、政元も権威を保障してくれる存在が必要なため義澄の帰京命令に応じた。この事情で両者は相互依存を余儀なくされていた。
  4. ^ 『三好長慶』〈人物叢書〉16頁。
  5. ^ ただし、満之系の高国の父の政春は頼元の玄孫であり、詮春系の澄元の高祖父の満久は満之の子である。
  6. ^ 『三好長慶』〈人物叢書〉16頁。


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