おとも‐しゅう【▽御供衆】
御供衆
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御供衆(おともしゅう)は、室町幕府将軍の出行に供奉した人物である。また、御相伴衆のように幕府における身分・格式を示す一種の称号でもあった。その格式は、御相伴衆・国持衆・準国主・外様衆に次ぐものであったが、将軍の出行に供奉するという点で、将軍に最も親近な名誉的な職であったと推測されている。
- ^ 「御台御供衆」「上様御供衆」といわれた日野富子の御供衆の構成員は、長井・大原・小早川・楢原・荒尾・三上・大和・長・斎藤・三吉・垪和・田村・松田・中条・千秋・安東・塩冶・西郡・毛利・丹比・松波・本郷・金山等の諸氏であり、その格式は将軍御供衆より低かったという。
- ^ この見解は明治期になっても引き継がれたようで、和田英松の平安時代を主体とした講義録(『官職要解』(明治書院、1902年))では、室町期・江戸期についても少し触れられており、そこでは伊勢貞丈の説を採用している。
- ^ 細川常忻(持春?)・細川教国(教春?)・畠山教国・一色義遠・山名豊之・細川勝久・畠山教元・上野持頼・山名豊氏・細川成春・一色政氏・畠山政光・武田国信・赤松刑部少輔・伊勢貞親・伊勢貞藤・伊勢貞宗が重複する。
- ^ 赤松貞村の流れである伊豆守家出身。
- ^ 官途名からみれば細川阿波守護家の出身とみられるが、讃岐九郎が義政御供衆として活動した事例はみられないという。
- ^ 『大日本古文書』蜷川家文書811号(政所執事の伊勢氏宗家の後継者であった虎福丸(伊勢貞為)名義で作成されている)。
- ^ 木下昌規「永禄の政変後の足利義栄と将軍直臣団」『戦国期足利将軍家の権力構造』岩田書院、2014年 ISBN 978-4-87294-875-2 (原論文:2012年)P215-218
- ^ 『言継卿記』永禄10年11月3日 "畠山式部少輔入道、安枕斎守肱、(中略)畠山伊豆守、安枕之息也"
- ^ 『言継卿記』永禄11年2月13日 "御人數予、水無瀬宰相、藤宰相、飛鳥井中將、畠山伊豆守、同弟孫六郎、見川、御末衆等也"
- ^ 御供衆の成立を義教期・義政期何れに見るかで、持信を御供衆とみるか否かも変化する。
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