最初の路線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
鉄道の輸送力を決定付ける軌間は、国際標準軌 (1,435 mm) より狭い狭軌の1,067 mmが選ばれた。これは当時の日本の状況を考えると妥当な選択であった。すなわち軌間が広いほど大きく重い列車を速く走らせることができるが、建設費がかさむことが欠点である。特に軌間が大きいほど曲線半径を大きく取る必要があり、貧乏国で山がちの日本では標準軌は贅沢であった。当時のイギリス植民地であった南アフリカやニュージーランドも1,067 mmを採用している。その他の技術的ポイントを列記する。 実際の建設に際しては、土木工事は築城経験のある日本の伝統技術が生かされたが、現在の多摩川にかかる六郷川橋梁だけはイギリス人の指導の下に木造で架橋された(1877年(明治10年)に鋼橋に交換)。 車両はすべてイギリスから輸入された。蒸気機関車10両はすべて軸配置1Bのタンク機関車で5社の製品を混合使用した。その中で4両あったシャープ・スチュアート社製の機関車が最も使いやすかったといわれている。 客車はすべて二軸で上等車(定員18人)10両、中等車(定員26人)40両、緩急車8両が輸入されたが、開業前に中等車26両は定員52人の下等車に改造された。当時の客車の走り装置や台枠は鋼製だが、柱、壁、屋根を含む車体は木造であり、この改造は練達の日本人大工の手によって実施された。 機関車を運転する機関士は外国人であった。また運行ダイヤ作成もイギリス人のW・F・ページに一任されていた。これらの外国人技術者は「お雇い外国人」と呼ばれ、高給を取っていた。 なお、上記のようにイギリス植民地と同じ軌間であることから「イギリスは日本を植民地と同じように格下に見て、1,067 mmを導入させた。」などという説が語られているが、これは誤りである。
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