時代情勢
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『美しい星』が執筆されていた1962年(昭和37年)当時は東西冷戦の激化があり、日本の安保闘争などの背後にもこのアメリカとソ連の対立があった。この両国の対立は、水爆実験や宇宙衛星開発の競争に進み、キューバの革命政権樹立後のキューバ危機の緊張も高まり、アメリカでは核戦争から身を護る核シェルターの建造が始まっていた時期であった。 これより先の1960年(昭和35年)11月から3か月間、三島は瑤子夫人と共にアメリカやヨーロッパ各国を廻り、ロサンゼルス滞在中はケネディ大統領の当選などを見たが、帰国後の1961年(昭和36年)4月には、ソ連の有人衛星「ボストーク」の地球一周成功や、8月にはベルリンの壁が築かれた。9月に三島は再びアメリカに渡り(米誌の招きで)、こうした緊迫した世界情勢を現地で受け止めていた。 三島は『美しい星』の連載を始める1月に、『終末観と文学』という評論を発表し、〈弥勒〉信仰など、歴史的に見て〈宗教や哲学の終末観〉〈末世思想〉が古典の〈文学的造型〉と深い関わりを持っていたことに触れながらも、現代の〈科学的可能性〉が保障し現実に起こりうる〈世界終末〉は、これまでのように〈精神的な事件〉に留まらずに、はじめて文学の〈味方になりえぬ〉終末観になったとしている。しかし、かといって〈生活の具体性〉と〈今日の終末観〉の互いに相容れない両者を無理に結ぶつける試みや、ヒューマニズムで〈絶望〉に対抗する方法は、〈うすつぺらな形骸に堕して〉しまうという作家的なジレンマを語っている。 もしかすると、世界の終末が来るかもしれない。少なくとも世界の終はりは、水爆の発明以来、科学的可能性として存在するやうになつたのである。(中略)われわれはさういふ意味では、稀有の時代に生きてゐる。(中略)どんなに平和な装ひをしてゐても「世界政策」といふことばには、ヤクザの隠語のやうな、独特の血なまぐささがある。概括的な、概念的な世界認識の裏側には必ず水素爆弾がくすぶつてゐるのである。(中略)水爆戦争をそのカタストローフとする終末観は、あの概括的概念的なメカニックな世界認識を前提としてをり、もし文学がこのやうな世界認識を受け入れたら、その瞬間に文学は崩壊してしまふ。しかしもし文学がこんな終末観に反対して「美しい者が永久にここに止まる」といふ主張をはじめたとしたら、それもまた、自縄自縛になりはせぬだらうか。それでは文学の存在理由はなくなつてしまひ、彼はただ背理と絵空事の証人にすぎなくなるだらう。 — 三島由紀夫「終末観と文学」 また同時期に発表された短編『帽子の花』は、サンフランシスコ滞在中のユニオンスクエア(英語版)での体験を題材にしたもので、〈完全無欠の生活の外見を保つて死んでゐる世界〉〈死の相貌〉〈世界の滅亡〉といった終末観を主題にし、ホームレスの老人や老女の逞しい〈生活〉の姿と対比させて描いており、この作品は『美しい星』の主題とも関連している。
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