旧小倉家住宅(石川県石川郡白峰村)
名称: | 旧小倉家住宅(石川県石川郡白峰村) |
ふりがな: | きゅうおぐらけじゅうたく |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1573 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1963.07.01(昭和38.07.01) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 石川県 |
都道府県: | 石川県白山市白峰り29-6 |
所有者名: | 白峰村 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行16.0m、梁間8.5m、正面庇付、一重二階、切妻造、妻入、とち葺 |
時代区分: | 江戸末期 |
年代: | 江戸末期 |
解説文: | 白山山麓に特有な切妻造、妻入 民家の代表である。江戸末期の建設であるが、古風な形式をもつ。 |
旧小倉家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 02:41 UTC 版)
「大和市下鶴間ふるさと館」の記事における「旧小倉家住宅」の解説
旧小倉家住宅は340坪ほどの敷地に、主屋と土蔵が現存する。創建の年代について、棟札などは見つかっていないが解体調査の際に「ざしき」の床板裏から墨書きによる落書きが発見されている。その落書きには黒船の絵や「安政三」「安政三年辰四月二十八日」の記述が見られ、1837年(安政3年)の建築と推定される。他に「豆州賀茂郡仁科庄(現在の静岡県賀茂郡南伊豆町)、石田利三良」という落書きも認められるため、伊豆から大工が来て幕末期の下鶴間で働いていたことも判明した。旧小倉家の土蔵は、横浜居留外国人向け英字新聞「ザ・ファーイースト」(1871年(明治4年)発行)に掲載された下鶴間宿の写真に写されている。 建築当初は桁行七間半(約13.6メートル)、梁行五間半(約10メートル)の規模を持ち、入母屋造、茅葺の屋根であった。間取りについては、広い土間、板敷きの「みせ」、奥に10畳の「ざしき」、上手の手前寄りに「なんど」、その奥に「おくざしき」(床と棚を持つ)が配される四間取である。建物の2階で養蚕を行っていたが、1階では養蚕を行わなかったという。中2階は、女中が使用する部分となっていた。 その後郵便局舎の増築や大正期のさらなる増築を経て、1967年(昭和42年)に屋根がトタン葺になるなどの大改装が行われた。この大改装の際に、旧郵便局舎が取り除かれている。さらに1971年(昭和46年)には貸店舗への改装がなされた。 旧小倉家住宅は、1995年(平成7年)4月に主屋部分が大和市指定重要有形文化財に指定された。このとき復元を前提として解体及び調査が実施された。主屋と廊下でつながっていた土蔵の部分は、所有者の意向によって当分現地で保存することになっていた。しかし、土蔵が立つ敷地部分が歩道整備計画に含まれているのが判明したため、所有者との協議を経て1997年(平成9年)4月24日付で土蔵も大和市指定重要有形文化財に指定した。 同年6月に所有者からの寄贈を受け、大和市は主屋とともに移築復元することを前提として解体保存工事を行った。土蔵の解体中に発見された墨書により、この土蔵は明治期のものではなく、1918年(大正7年)12月に再建されたものであることが判明した。土蔵は主屋西側にあり東側に向いている。建坪は5坪、桁行2間半、梁行2間で2階建てである。
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