旧小倉家住宅とは? わかりやすく解説

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旧小倉家住宅(石川県石川郡白峰村)

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旧小倉家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 02:41 UTC 版)

大和市下鶴間ふるさと館」の記事における「旧小倉家住宅」の解説

旧小倉家住宅は340坪ほどの敷地に、主屋土蔵現存する創建年代について棟札などは見つかっていないが解体調査の際に「ざしき」の床板裏から墨書きによる落書き発見されている。その落書きには黒船の絵や「安政三」「安政三年四月二十八日」の記述見られ1837年安政3年)の建築推定される。他に「豆州賀茂郡仁科庄(現在の静岡県賀茂郡南伊豆町)、石田利三良」という落書き認められるため、伊豆から大工来て幕末期下鶴間働いていたことも判明した。旧小倉家土蔵は、横浜居留外国人向け英字新聞「ザ・ファーイースト」(1871年明治4年発行)に掲載され下鶴間宿写真写されている。 建築当初桁行七間半(約13.6メートル)、梁行間半(約10メートル)の規模持ち入母屋造茅葺屋根であった間取りについては、広い土間板敷きの「みせ」、奥に10畳の「ざしき」、上手の手前寄りに「なんど」、その奥に「おくざしき」(床とを持つ)が配される四間取である。建物2階養蚕行っていたが、1階では養蚕を行わなかったという。中2階は、女中使用する部分となっていた。 その後郵便局舎の増築大正期さらなる増築経て1967年昭和42年)に屋根トタン葺になるなどの大改装が行われた。この大改装の際に、旧郵便局舎が取り除かれている。さらに1971年昭和46年)には貸店舗への改装なされた。 旧小倉家住宅は、1995年平成7年4月主屋部分大和市指定重要有形文化財指定された。このとき復元前提として解体及び調査実施された。主屋廊下つながっていた土蔵部分は、所有者意向によって当分現地保存することになっていた。しかし、土蔵が立つ敷地部分歩道整備計画含まれているのが判明したため、所有者との協議経て1997年平成9年4月24日付で土蔵大和市指定重要有形文化財指定した同年6月所有者からの寄贈を受け、大和市主屋とともに移築復元することを前提として解体保存工事行った土蔵解体中に発見され墨書により、この土蔵明治期のものではなく1918年大正7年12月再建されたものであることが判明した土蔵主屋西側にあり東側向いている。建坪は5坪、桁行2間半梁行2間で2階建てである。

※この「旧小倉家住宅」の解説は、「大和市下鶴間ふるさと館」の解説の一部です。
「旧小倉家住宅」を含む「大和市下鶴間ふるさと館」の記事については、「大和市下鶴間ふるさと館」の概要を参照ください。

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