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地名辞典

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大和市

読み方:ヤマトシ(yamatoshi)

所在 神奈川県

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。


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大和市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/03 20:38 UTC 版)

やまとし
大和市
Flag of Yamato, Kanagawa.svg
大和市旗
神奈川県大和市市章.svg
大和市章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
団体コード 14213-1
面積 27.06km²
総人口 230,073
推計人口、2011年11月1日)
人口密度 8,500人/km²
隣接自治体 神奈川県横浜市座間市相模原市
綾瀬市藤沢市海老名市
東京都町田市
市の木 ヤマザクラ
市の花 ノギク
他のシンボル 市の鳥:オナガ
シンボルカラー:わかみどり
大和市役所
所在地 〒242-8601
神奈川県大和市下鶴間一丁目1番1号
大和市役所
外部リンク 大和市

大和市位置図(神奈川県)

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村
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大和市(やまとし)は、神奈川県のほぼ中央に位置する市。旧高座郡。国から特例市に指定されている。

目次

地理

地勢・位置

神奈川県のほぼ中央部に位置し、東京都心から40km圏内にある。東は横浜市、西は座間市海老名市綾瀬市に、南は藤沢市、北は、相模原市東京都町田市にそれぞれ隣接している。人口は約23万人。特例市に指定されている。かつて隣接する座間市、海老名市、綾瀬市との間に県央政令指定都市構想があった。

面積は27.06km²、広袤は東西3.22Km、南北9.79Kmと南北に細長い。市域のほとんどが相模野台地(相模原台地)上にあり、台地上は北の相模原市との境界付近で標高82m、南の藤沢市との境界付近で標高44m、北から南へ緩やかに傾斜し、平坦で丘陵起伏がほとんど無い都市である。この台地面を東西の河川が刻み、急崖を持った細長い河谷が南北に延びる(後述)。市内最高点は下鶴間・浅間神社跡の標高90m、最低点は福田・江の窪の30mである。

鉄道は中央部を東西に相鉄本線、南北に小田急江ノ島線が走る他、北部に東急田園都市線が乗入れ、狭い市域に8駅がある。この為、市内のどこからも最寄り駅まで約15分前後で行け、更に新宿渋谷横浜にそれぞれ1時間以内で移動できることから利便性は比較的良い。また、道路網も国道246号や旧・国道246号、国道467号、旧・国道16号、主要地方道丸子中山茅ヶ崎線などが東西南北に走るほか、東名高速道路横浜町田インターチェンジまで約10分程度の距離となっているなど利便性は比較的良い。

郵便番号242-XXXX。

NTT東日本加入電話に使用している市外局番帯は厚木MA管内で、かつては0462(XX)を使用していたが、加入者増加などに対応するため1999年7月20日午前2時に一斉変更され、0462xx)となった[1]

河川

市域の東側を境川が南流し、町田市および横浜市との境界をなす。下鶴間の鶴瀬橋のやや上流にある3市の境界線の交点より上流側では相模国武蔵国の、下流側では相模国の高座郡鎌倉郡の境界となっていたことからこの名がある。境川には下鶴間の目黒橋付近で目黒川が合流する。この川は本来、相模原市内に水源を持つ深堀川の下流部であるが、同市上鶴間で境川に短絡する暗渠の排水路が造られたために、現在では深堀川の水は流れていない。 横浜市瀬谷区側に被害が集中することが多いが、毎年大雨・台風が襲来し境川があふれると、ひどい時には床下浸水におよぶ事がしばしばある。特に1995年(平成7年)[要出典]の時は被害が甚大となり、復旧にあたり鹿島橋を架け替えることとなった。

引地川は、市内上草柳(かみそうやぎ)を水源とし、市域西部の台地面を侵食しながら南へ流れている。

歴史

原始・古代(1192年以前)

大和市内の人類の足跡は、今から約23,000年前の旧石器時代の遺跡で確認されている。市域を流れる引地川、境川に沿った台地には遺跡が点在し、質の高い石器類が発掘されている。数多くの石器類からは当時の人々が狩猟中心の生活をしていたことがわかる。約12,000年前ごろの縄文時代には、気候が温暖になってきた。動植物も豊かになり、人々のくらしも安定し、土器を使い、竪穴式住居にすむようになる。市内には縄文時代の草創期の遺跡があり、日本最古レベルの土器片が出土している。

市内最古の神社である深見神社は、927年の延喜式にその存在が記録されている。創建は更に時代を遡るはずである。現在の場所に移ったのは焼失(明治期)後再建された戦中の事で、以前はやや西にあったという。神社の表参道であった大門は横浜市瀬谷区側にあった。大門の地名はすでに失われたが、大門川、大門小学校(いずれも瀬谷区)に名残がある。

中世(1590年頃まで)

鎌倉幕府が開かれると、市域は高座郡渋谷庄と呼ばれ渋谷重国が、室町時代には鶴間郷と呼ばれ足利氏が支配した。その後、戦国時代には後北条氏が相模の国を支配、市域はその家臣たちによって治められるようになった。そのころ、保田筑後の守など9人(「福田九人衆」と呼ばれ、現在も福田の開発伝承として伝えられており、九人の姓名は、保田筑後守、田辺因幡守、広村刑部介、斉藤民部、駒井文太夫、広瀬藤八、市川源兵衛、山下半哉、小林大玄)が今の福田地域に土着して開墾している。古道として知られる滝山街道(現在の国道467号線)は鎌倉時代の重要な道のひとつである。保田、広瀬、山下などの名字は現在も多く福田地区、渋谷地区に見られる。

室町期には深見城が築かれた。城主として山田伊賀守経光の名が知られる。深見城の掘りとして機能した境川には、経光にちなんだ山田橋が現存する。深見城は大和市域に存在するが、馬場屋敷、中屋敷、牢場坂などの地名は境川の対岸横浜市瀬谷区にある。大和市域は乾燥した台地上であり、水の便の良い横浜市側の低地に多くの人々が居住していたのであろう。

近世(1868年頃まで)

1590年後北条氏滅亡後、徳川家康が関東に入国した。検地が実施されたり、宗門人別帳の作成などが行われ、近世農村としての基礎固めが行われるようになった。江戸時代後期の市域の戸数は646戸だったと記されている。また、現在市役所のある下鶴間は、旅篭や茶店などがあり、大山参りに使われた矢倉沢往還の宿駅(下鶴間宿)であったと渡辺崋山の「游相(ゆうそう)日記」に記されている。幕藩体制時代、市域は初期を除き大部分が旗本領であったが、5代将軍徳川綱吉の時代、常陸・鹿島にも領地をもつ坂本重冶は、次第に加増をうけ、寺社奉行を歴任し、1万石余の大名になった深見藩:家中)が、逆鱗にふれ、元の旗本になり子孫は深見を領した。よって陣屋も建てられなかった。深見台にある仏導寺には坂本家の慶長時代の墓所があり、坂本重安屋敷跡もある。近くのK氏宅には坂本家累代の位牌を預かっている。深見に明治以前から続く姓として中丸、富沢などがある。上和田地区の領主は石川氏、福田地区の領主は中根氏である。

近・現代(1868年以降)

町村制の施行

1889年町村制が施行され、市域には鶴見村渋谷村の2つの村ができた。その後、鶴見村では分村問題が発生し、それを収拾するために1891年9月25日、村名を大和村と改称し、ここに「大和」の名称が誕生した。

現在の市名の由来

「鶴見村」は下鶴間村、深見村、上草柳(かみそうやぎ)村、下草柳(しもそうやぎ)村、上和田村の一部が合併してできた村。下鶴間村の“鶴”と深見村の“見”をとって名づけられたとされている。同じ神奈川県にある横浜市鶴見区とは全く関係がない。その後分村問題などの末、当時の八須賀村長の提言を元に、皆が「大いなる和」で協力していこうという意味から、1891年に「大和村」に改称したのである(明治以降誕生した大和村・大和町はほぼこれと似たような意味から付けられている)。 本来の旧国名の領域ではない地域に旧国名を名乗る市は、他には高知県安芸市東京都東大和市がある。

二つの鉄道開通から終戦まで

1926年には、現在の相模鉄道(当時は神中鉄道)が開通。市内に大和駅が設置。 (1943年相模大塚駅が現在の位置へ移転)。1929年には小田急江ノ島線が開通。市内に中央林間都市駅(現中央林間駅)、南林間都市駅(現南林間駅)、西大和駅(現大和駅)、高座渋谷駅が開設された。

1941年には現在の厚木基地である相模野海軍航空隊ができた。1945年に終戦を迎え、海軍航空隊は米国海軍厚木航空基地となった。その後はジェット機の訓練場所として米軍・自衛隊双方が飛行訓練を行っており、酷い場合には朝8時頃から午後10時頃まで飛行訓練を行っている為、騒音がひっきりなしにある。特に夜間離着陸訓練(NLP)を行っている。2007年12月に国を被告とした第四次爆音訴訟提訴され、現在係争中である。また、離着陸訓練が行われる時期になると、騒音に関する抗議の電話が相当件数、市の渉外室基地対策課に寄せられる[2]

相次ぐ軍事施設の進出を背景に、1930年代末から上溝町座間町大野村など高座郡北部の町村を合併して一大都市を建設する構想が立てられ、大和村もその対象として合併協議に加わった。しかし、期限とされた時期までに村内の意見を集約することができず、大和村は協議から離脱し、残った2町6村で合併が行われて1941年4月29日に相模原町が発足した(「相模原市#相模原町の発足」を参照)。

大和村は1943年11月3日に単独で町制を施行して大和町となり、渋谷村も1944年11月3日に渋谷町となった。

市制施行から東急田園都市線の開通へ

終戦時点で現市域には大和町および渋谷町と2つの町があったが、1955年に渋谷町の南半にあたる長後、高倉などが藤沢市に編入されることが決まった。その結果、渋谷町は分割され、同年4月5日に旧町の北半部で改めて渋谷村が設置された。これは隣接する大和町または綾瀬町との合併を前提とするものとされ、1956年9月1日に大和町が渋谷村を編入合併し、現在の大和市の形が出来上がった。さらに1959年2月1日に、大和町が市制を施行して「大和市」となった。その後、つぎつぎと区画整理事業などが実施されて宅地化が進行する一方、1976年には東急田園都市線つきみ野駅まで開通、1984年には中央林間駅まで開通して都心への新たな直結ルートが完成した。大和駅周辺では相模鉄道の延べ1kmの地下化がおよそ10年余りを要して1997年に完成し、1年遅れて小田急線の大和駅も新装となってロマンスカーえのしま号、ホームウェイが停車するようになった。

特例市制定

特例市」制度は、地方分権を推進することを目的として、2000年4月に地方自治法改正により創設された新たな都市制度である。2000年11月1日、大和市は特例市に移行した。移行にさいし、「地域のことは地域で考え、地域で決める。そして自己責任を持つ。市民と行政が一体となり、そんなまちづくりを目指していく。」としている。なお、特例市の指定に関しては第13代市長であった土屋侯保が陣頭指揮を執り、制度指定のさきがけとなれるよう全庁舎内で取り組んでいた経緯がある。




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  1. ^ この措置は、変更前に同じ番号帯を使用していた厚木市海老名市座間市愛甲郡愛川町愛甲郡清川村(一部旧相模原市秦野市を除く)が対象となった
  2. ^ 大和市の基地対策 - 大和市
  3. ^ 2007年(平成19年)4月1日施行の「大和市副市長定数条例」(平成19年3月15日条例第4号)。同条例附則の規定により、「大和市助役を置かないことの条例」(平成14年条例第18号)は廃止。
  4. ^ すかいらーくグループ > 企業情報 > グループ会社一覧 > 株式会社すかいらーく(沿革)
  5. ^ 多胡記念公園(やまとナビ) - 大和市スポーツ・よか・みどり財団(2011年3月22日閲覧)
  6. ^ 4 大和緑の散歩道 〜大和歩行者専用道〜(伝えたい 残したい やまとの景観) - 大和市(2011年3月22日閲覧)


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