日高遺跡とは? わかりやすく解説

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日高遺跡

名称: 日高遺跡
ふりがな ひだかいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 群馬県
市区町村 高崎市日高町・中尾町
管理団体
指定年月日 1989.11.09(平成1.11.09)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成12.03.07
解説文: H10-07-062[[日高遺跡]ひだかいせき].txt: 日高遺跡は、榛名山東南麓に広がる相馬ヶ原扇状地南端部に位置する浅間山噴出源とする火山灰層に覆われて、弥生時代の集落良好な状態で保存されている。扇状地端の谷部には足跡や畦を支え木組遺構当時のままに残した水田跡があり、谷の西側の微高地には方形周溝墓土坑墓壺棺からなる墓域、さらに東側の微高地には居住域のあることが確認されている。近接する水田生産域)、居住域墓域組み合わせによって、当時暮らし総合的に知りうる重要な遺跡である。
 昭和52年関越自動車道建設に伴う事前調査によって発見され、翌昭和53年保存決定され所有者同意得られ区域について、平成元年史跡指定が行われた。
 今回これまで地権者同意得られなかった地域の市による公有化進み、未公有化地については所有者同意得られたので、この部分追加指定し遺跡全面保存図ろうとするものである

日高遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 08:30 UTC 版)

座標: 北緯36度22分11.8秒 東経139度01分54.5秒 / 北緯36.369944度 東経139.031806度 / 36.369944; 139.031806

日高遺跡
日高遺跡の位置

日高遺跡(ひだかいせき)は、群馬県高崎市日高町・中尾町にある弥生時代集落遺跡1989年(平成元年)11月9日、国の史跡に指定された[1][2]

概要

榛名山東南麓に広がる相馬ヶ原扇状地南端部に位置する。浅間山を噴出源とする火山灰層に覆われており、弥生時代の集落が良好な状態で保存されている[1]。扇状地端の谷部には足跡や畦を支える木組遺構を当時のままに残した水田跡があり、谷の西側の微高地には方形周溝墓、土坑墓、壺棺からなる墓域、さらに東側の微高地には居住域のあることが確認されている[1]。近接する水田(生産域)、居住域、墓域の組み合わせによって、当時の暮らしを総合的に知りうる重要な遺跡である[1]

1977年(昭和52年)、関越自動車道建設に伴う事前調査によって発見され、1978年(昭和53年)に保存が決定され、所有者の同意を得られた区域について、1989年(平成元年)に史跡指定が行われた。また、2000年(平成12年)3月7日、それまで未公有化地であった部分も、所有者の合意により、追加で史跡となった[1]

1993年(平成5年)度から2008年(平成20年)度にかけて行われた遺跡範囲確認の発掘調査では、水田跡のほか、史跡地内に環壕集落が残存していることが確認された[2]

また、現在は日高遺跡の史跡公園整備事業が進められており、JR上越線北側のエリアが開園している[3]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 文化庁. 2020年11月13日閲覧。
  2. ^ a b 日高遺跡(高崎市)
  3. ^ 日高遺跡保存整備事業(高崎市)


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