日本人とハングルとは? わかりやすく解説

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日本人とハングル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 12:14 UTC 版)

ハングル」の記事における「日本人とハングル」の解説

朝鮮における漢字」、「日本統治時代の朝鮮」、および「ハングル学会」も参照 慶應義塾留学生多数を含む開化派福澤諭吉高弟井上角五郎協力により、朝鮮初の近代新聞(官報)である『漢城旬報』が1883年刊行され、その続刊である『漢城周報』(1886年創刊)では漢文のほかに漢字ハングル混合文、ハングルのみによる朝鮮文採用された。16世紀初頭ハングル禁止以来それまで公的な文書においてハングル正式に用いられることがなかった朝鮮において、政府の関与した文書ハングル記され朝鮮文採用され意義大きい。 また、漢城周報』では漢文要素の強い朝鮮文である「国漢文」と呼ばれる新たな文体同時に創作採用された。国漢文の創作採用当たって日本漢文書き下し文文体参考にしたと見られるが、そのような経緯には福澤諭吉門下井上角五郎助力があったと見られるしかしながら国漢文は漢文素養を必要とする文体であったため、一般に広く流布するには至らなかった。 1896年創刊された『独立新聞』はハングル英文による新聞であった。これは分かち書き初め導入した点でも注目される公文書ハングル使用は、甲午改革一環として1894年11月公布され勅令1号公文式において、公文国文(ハングル)を使用することを定めたことに始まった1890年代後期訪朝したイザベラ・バードは、その当時諺文(En-mun)と呼ばれていたハングルについて、いまだ知識層からは蔑視されてはいるが、1895年1月漢文諺文混合文が官報現れ以来国王による独立宣誓文をはじめ、一部を除く公式文書に正式に採用され諺文による書物徐々に増えつつあると描写し今後諺文による教科書教師育成待たれるとしている。また、上流階級女性諺文読めるが、女性の識字率極めて低く1000人に2人であろうとする一方漢江沿いで出会った下層階級男たち多く諺文読めた述べている。 1905年韓国保護条約第二次日韓協約)後、伊藤博文は自ら朝鮮半島渡り1906年初代韓国統監就任理想的に国家立て直すため、まず「学校教育充実」を最優先実施。そのために、日本銀行から500万円を借欺し、そのうち50万円教育振興充てた。それにより、1906年周時経が『大韓国語文法』を、1908年に『国語文典音学』を出版した。また崔光玉の『大韓文典』と兪吉濬の『大韓文典』(崔光玉の『大韓文典』と同名)、1909年に金熙祥の『初等国語語典』、周時経の『国語文法』などが出版された。 「ハングル」という呼称文献上に初め現れるのは大日本帝国による韓国併合以降1912年のことであり、周時経に始まる。韓国併合時代朝鮮総督府は「諺文」(おんもん)と呼び1912年普通学校用諺文綴字法制定し1921年には周時経の弟子らが朝鮮語研究会結成し総督府協力して1930年には正書法諺文綴字法制定した1920年からは併合下でタクチ本多数出版され読書朝鮮半島大衆化近代化する決定的な契機になった1933年朝鮮語綴字法統一案出され、これが韓国でのハングル正書法(1988年)のもととなった北朝鮮では1954年朝鮮語綴字法1987年朝鮮語規範集出された。

※この「日本人とハングル」の解説は、「ハングル」の解説の一部です。
「日本人とハングル」を含む「ハングル」の記事については、「ハングル」の概要を参照ください。

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