漢城旬報とは? わかりやすく解説

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漢城旬報

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 03:53 UTC 版)

漢城旬報(かんじょうじゅんぽう)は、1883年10月30日に創刊された朝鮮で最初の近代的新聞。政府の機関である「博文局」が発行した。1886年1月25日に創刊された『漢城周報』は、『漢城旬報』の後継紙にあたる。創刊発行の協力者は金玉均


  1. ^ 明治15年10月19日、花房と同船して済物浦条約履行のために訪日した修信使は、朴泳孝(正史)、金晩植(副使)、徐光範(従事官)である。また、視察目的で閔泳翊、金玉均が随行している。
  2. ^ 朴定陽が視察のために来日した前年(1881年)に、福澤からの提案で兪吉濬など23名が日本へ留学している。
  3. ^ 軍事訓練所をつくりたいとの朝鮮側の意向により、このとき松尾三代太郎、原田一も雇用されている。


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