済物浦条約とは? わかりやすく解説

さいもっぽ‐じょうやく〔‐デウヤク〕【済物浦条約】

読み方:さいもっぽじょうやく

1882年壬午(じんご)の変の処理のため、済物浦調印され日本朝鮮間の条約朝鮮は、首謀者処罰賠償公使館護衛軍隊駐留などを日本約束した


済物浦条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/06 13:51 UTC 版)

済物浦条約(さいもっぽじょうやく)とは、1882年8月30日日本李氏朝鮮の間で締結された条約[1]


注釈

  1. ^ さらに有事に備えて博多に陸軍2個大隊が待機していた。
  2. ^ 「巨済島又は欝陵島の割譲を要求」というのは、この最悪な想定下における限定的な指令である。
  3. ^ この時行方不明だった閔妃は死亡扱いとされていた。

出典

  1. ^ 日本学術振興会『条約目録』1936年
  2. ^ 国立公文書館アジア歴史資料センター「弁理公使花房義質ニ訓条ヲ付与シ復朝鮮国ニ赴カシム」 レファレンスコード(A03023634800)
  3. ^ a b c d e f g h i j 海野(1995)pp.50-61
  4. ^ a b c d e f g 佐々木(1992)pp.221-224
  5. ^ 牧原(2008)pp.278-286


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