所属した駆逐艦の特性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 06:03 UTC 版)
「第二水雷戦隊」の記事における「所属した駆逐艦の特性」の解説
編制当初の日本海軍は、最初に導入した東雲型から神風型までの三等駆逐艦がだぶついている一方、一等駆逐艦は海風型しかなく、二等駆逐艦も桜型とその量産型の樺型が量産中であったために参加できず、2個水雷戦隊はやむなく三等駆逐艦だけで編制した。1915年(大正4年)12月13日、一等・二等駆逐艦の量産が一段落したことから、ようやく第二水雷戦隊に一等・二等駆逐艦が供給された。以後、第二水雷戦隊には、峯風型・神風型・睦月型・吹雪型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風型と、最新・最強の駆逐艦が投入された他、配属された兵員も練度が高い精鋭が集められた為、華の二水戦と謳われた。一例として1939年(昭和14年)11月15日の艦隊編制における二水戦は朝潮型駆逐艦と陽炎型駆逐艦で統一され、これまで二水戦の主力だった吹雪型駆逐艦は第四水雷戦隊(1939年11月15日新編)と第三水雷戦隊(1940年5月1日新編)にまわされた。 一方、最終防衛線で主力の戦艦を護衛する第一水雷戦隊には、第二水雷戦隊ほどの強力な武装を要求されなかった。このため、第二水雷戦隊に新型が導入されたために追い出された型落ちの駆逐艦(たとえば、吹雪型就役のために陳腐化した神風型や睦月型。朝潮型や陽炎型就役のため旧式化した吹雪型)が回されたり、もとより最前線での使用を考えられていなかった樅型や若竹型などの二等駆逐艦、期待された性能に届かなかった初春型と白露型は第一水雷戦隊でデビューした。それでも第一水雷戦隊は、世代が違うほど旧式化した老朽駆逐艦をかき集めた第三水雷戦隊、第五水雷戦隊、第六水雷戦隊などからみれば、充実した戦力を保有していたといえる。 太平洋戦争の激化にともない駆逐艦の消耗が激しくなると、初春型や白露型も第二水雷戦隊へ順次編入され、最終時の二水戦は吹雪型(初雪型)、初春型、白露型、朝潮型(満潮型)、陽炎型(不知火型)、夕雲型、秋月型の寄せ集めとなった。坊ノ岬沖海戦直前の4月6日午前9時、草鹿龍之介連合艦隊参謀長は各部隊に対し、二水戦所属駆逐艦を「月型2隻〈冬月、涼月〉、磯風型3隻〈雪風、磯風、浜風〉、若葉型3隻〈初霜、朝霜、霞〉」と説明している。同日午後1時30分頃の電文では、誤爆・誤突入を避けるための艦型識別説明において、護衛駆逐艦を秋月型駆逐艦2隻(冬月、涼月)、夕雲型駆逐艦6隻(磯風、雪風、浜風、霞、初霜、朝霜)と説明している。戦艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧」と共に沖縄へ出撃した第二水雷戦隊所属駆逐艦の艦型は、秋月型2隻(冬月、涼月)、初春型1隻(初霜)、満潮型1隻(霞)、不知火型(陽炎型)3隻(磯風、雪風、浜風)、夕雲型1隻(朝霜)だった。
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