第五水雷戦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 09:24 UTC 版)
国際連盟脱退後の1933年(昭和8年)5月20日に施行された艦隊平時編制の標準では、連合艦隊の常設、航空戦隊の正式編入、第一・第二遣外艦隊の廃止が盛り込まれた。第十戦隊・第十一戦隊・第五水雷戦隊により第三艦隊が編制されたが、第五水雷戦隊は編成されなかった。実際の第五水雷戦隊は1934年(昭和9年)11月15日付で編制され、中国大陸沿岸部で活動した。1939年(昭和14年)11月25日付で解隊され、当時の五水戦司令官河瀬四郎少将は将旗を軽巡洋艦長良より撤去する。河瀬少将は第一水雷戦隊司令官へ転任した。 太平洋戦争緒戦で活躍した第五水雷戦隊は1940年(昭和15年)11月15日に新編され(司令官原顕三郎少将)、軽巡洋艦名取と、旧式駆逐艦(睦月型、神風型)で編制された。当初は連合艦隊直属部隊で、1941年(昭和16年)4月10日に第三艦隊が新編されると、同艦隊に編入された。7月下旬から第二遣支艦隊の指揮下で南部仏印進駐(ふ号作戦)に従事した。 太平洋戦争緒戦では第二艦隊・第三艦隊各部隊と共に南方部隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)に所属し、南方作戦にともなう菲島作戦や蘭印作戦に従事した。バタビア沖海戦では夜戦で勝利をおさめた。初期戦略目標の攻略達成に伴い、第五水雷戦隊は1942年(昭和17年)3月10日付で解隊され、原少将は第十六戦隊司令官に任命された。4月10日、日本海軍は第三艦隊と南遣艦隊を再編する形で南西方面艦隊を新編した。五水戦に所属していた第22駆逐隊は4月10日に新編された第一海上護衛隊に編入され、また第5駆逐隊も南西方面での海上護衛任務に従事した。
※この「第五水雷戦隊」の解説は、「水雷戦隊」の解説の一部です。
「第五水雷戦隊」を含む「水雷戦隊」の記事については、「水雷戦隊」の概要を参照ください。
- 第五水雷戦隊のページへのリンク