後藤四郎兵衛家とは? わかりやすく解説

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後藤四郎兵衛家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 02:09 UTC 版)

後藤四郎兵衛」の記事における「後藤四郎兵衛家」の解説

後藤四郎兵衛家は茶屋四郎次郎家および角倉了以と共に京都の三長者呼ばれた御用達町人による恒例年頭御礼大判座後藤金座後藤本阿弥三郎兵衛後藤縫殿助茶屋四郎次郎の順で筆頭にあった。この席順はしばし変更され家格争論引き起こした元禄改鋳功労により元禄10年1697年)から、金座後藤十一代三郎光包が遠島流罪となった文化7年1810年)まで、および金座後藤十三代三右衛門光亨が御用達町人上席となった天保5年1834年)から入牢させられ弘化元年1844年)までの間は金座後藤筆頭となり、大判座後藤次席となった。これには関ヶ原の合戦において後藤徳乗は石田三成方につき、大坂の陣においても豊臣方についたことから蟄居の生活を送っていたが、徳川方についた弟の後藤長乗は後藤宗家絶えるのを憂い家康赦免取り付けた云う背景があった。天正大判は徳乗の墨判であるが、慶長大判には長乗による墨判のものがある。 しかし十代廉乗が幕府から江戸定詰命じられるうになると、京都在住後藤分家江戸四郎兵衛家との間に次第対立生じようになった享保12年11月1727年)には京都後藤家が、江戸在住四郎兵衛家は主に上方両替屋用いられている分銅事情疎いため今後従来通り分銅御用京都で行うこと、近年四郎兵衛家が独占し勝ちとなっている大判墨判京都方に命じてもらう様、京都奉行所訴えという事態まで発展した一方四郎兵衛家は享保14年2月1729年)には今後新大判墨判書改め京都後藤家では無用であると訴えるに至った。これに対し京都方では連判して大判墨判書改め古来より京都江戸両家が共に行うところで四郎兵衛家の勝手な振る舞い許されるものではないとして訴えたという。 以下は後藤四郎兵衛家の家系図である。 初代後藤祐乗二代後藤宗乗三代後藤乗真 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 四代後藤光乗 後藤元後藤祐徳(後藤家) ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ 五代後藤徳乗 後藤長乗 後藤 ┣━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓六代後藤栄乗 七代後藤顕乗 後藤休乗 後藤立乗 後藤覚乗 後藤乗円 後藤昌乗 ┃ ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━━━┓ ┃ ┣━━━━━┓八代後藤即乗 九代後藤程乗 後藤寛乗 後藤殷乗 後藤仙乗 後藤慶乗 後藤益乗 後藤清乗 ┃ ┃ ┃十代後藤廉乗 ┃ 十一代後藤通乗 ┃ ┃ ┃ 十二代後藤寿乗 ┃ ┣━━━━━┓ ┃ 十三代・後藤延乗 十四代後藤乗 ┃ ┃ ┃ 十五代後藤真乗 ┣━━━━━┓ ┃ 後藤一乗 後藤久乗 十六代・後藤芳乗 ┃ ┃ 十七代・後藤典乗 庄三郎十四代・吉五郎光弘 後藤四郎兵衛家略譜家督続柄室生初代後藤祐乗 後藤基綱嫡子 永享12年1440年永正9年5月7日1512年二代後藤宗乗 祐乗の子 長享元年6月24日1487年天文7年7月6日1538年三代後藤真 宗の子 永正9年1512年永禄5年3月6日1562年四代後藤光乗 乗眞の享禄2年1529年元和6年3月14日1620年五代後藤徳乗 光乗の嫡子 先室は祐乗の娘、後室本阿弥光温の娘 天文17年1548年寛永8年10月13日1631年六代後藤栄乗 〜元和3年4月4日1617年) 徳乗の長男 元乗嫡子の娘 天正5年1577年元和3年4月4日1617年七代後藤顕乗 徳乗の次男 先室、後室共に長乗の娘 天正14年1586年寛文3年正月22日1663年八代後藤即乗 元和3年4月4日1742年)〜寛永8年11月13日1631年) 栄乗の次男 乗閑の娘 慶長5年1600年寛永8年11月13日1631年九代後藤程乗 顕乗の嫡子 本阿弥光利の娘 慶長5年6月16日1600年寛文13年9月17日1673年十代後藤廉乗 寛永9年1632年)〜元禄10年7月23日1697年) 即乗の四男 寛永5年11月2日1628年宝永5年12月23日1709年十一代後藤通乗 元禄10年7月28日1697年)〜享保6年12月27日1722年) 程乗の弟仙乗の三男 寛文4年6月6日1664年享保6年12月27日1722年十二代後藤寿乗 享保7年2月27日1722年)〜寛保2年2月1742年) 通乗の嫡子 元禄2年1689年寛保2年2月9日1742年十三後藤延乗 寛保2年5月1742年)〜天明4年9月18日1784年) 寿乗の次男 享保7年1722年天明4年9月18日1784年十四代後藤天明4年12月6日1784年)〜享和4年正月4日1804年) 寿乗の三男 寛保元年1741年享和4年正月4日1804年十五代後藤真乗 享和4年4月1804年)〜天保6年7月1835年乗の嫡子 先室は茶屋東庵の娘、後室は閑乗光佐の娘 安永9年2月16日1774年天保14年6月7日1843年十六後藤方乗 天保6年7月1835年)〜安政3年6月22日1856年) 眞乗の三男 文化13年8月3日1816年安政3年6月22日1856年十七後藤典乗 安政5年1858年)〜明治元年1868年) 顕乗の子天保6年1835年明治12年6月5日1879年

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