奉行
奉行所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:50 UTC 版)
郭内中心部に建てられた。規模は東西約97メートル、南北約59メートルで、建物面積は約2,685平方メートル。一部2階建であり、西側の役所部分(全体の3/4)と東南の奉行役宅(奥向)から構成されていた。また役所部分は、正面玄関から大広間に繋がる南棟、同心詰所などがある中央棟、白洲や土間などのある北棟に分かれていた。 正面玄関を入った先に高さ約16.5メートルの太鼓櫓が設けられたが、箱館戦争で甲鉄の艦砲射撃を受けた際に、その照準となっていると考えた旧幕府軍が慌てて切り倒している。 奉行所の復元に際し、当初、函館市は奉行所の建物全体の復元を計画したが、建築基準法では1,000平方メートルごとに防火壁を設置しなければならず、復元と防火壁の両立を文化庁と協議した結果、景観上芳しくないこともあり断念し、約1,000平方メートル以内の復元に留めることとなった。当時と同じ材料、同じ工法で、奉行所の南棟と中央棟部分が復元され、復元された奉行所は、平成23年度の北海道赤レンガ建築賞を受賞している。
※この「奉行所」の解説は、「五稜郭」の解説の一部です。
「奉行所」を含む「五稜郭」の記事については、「五稜郭」の概要を参照ください。
奉行所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:51 UTC 版)
奉行所として北町奉行所と南町奉行所が設置されたが、これは相対的な位置関係で職務に関しては月番制をとっていたのであり南北に管轄を分けていたわけではない。 なお、1702年(元禄15年)閏8月 - 1719年(享保4年)1月という短い間ではあるが中町奉行所というものも設置された。設置された理由や職務内容はあまり定かではないが、南北町奉行所の補助役として設置されたとされる。
※この「奉行所」の解説は、「町奉行」の解説の一部です。
「奉行所」を含む「町奉行」の記事については、「町奉行」の概要を参照ください。
奉行所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 01:03 UTC 版)
1723年(享保8年)に山田奉行の渡邊下総守が江戸詰めのもう一人の山田奉行の黒川丹波守に送ったものの控えとされる「山田奉行屋敷図面」が残されており三重県が所蔵している。 「山田奉行屋敷図面」にある小林に移転した後の奉行所は、周りよりも3〜4メートル高い微高地で小さな城館のような立地だったとされている。奉行所は板塀で囲まれ、南番所と西番所があり、北側に宮川、南側には外濠と「橋の下池」と「土肥の内堀」という内濠があった。奉行所内には役人詰所、御用部屋、下台所、上台所などがあり、西側に奉行が居住する屋敷があった。また北側には家臣たちの住む東長屋と西長屋があった。 奉行所跡は、昭和46年(1971年)に市の史跡に指定された。
※この「奉行所」の解説は、「山田奉行」の解説の一部です。
「奉行所」を含む「山田奉行」の記事については、「山田奉行」の概要を参照ください。
「奉行所」の例文・使い方・用例・文例
奉行所と同じ種類の言葉
- 奉行所のページへのリンク