建設候補地 決定までの経緯
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「ITER」の記事における「建設候補地 決定までの経緯」の解説
1985年にジュネーヴにおいて行われた米ソ首脳会談において、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長は平和利用のための核融合研究の重要性を認め、核融合エネルギー実用化のための国際協力について合意した。これを契機として、核融合研究において先行していた米国、ソ連、日本および欧州原子力共同体の代表者が協力の形態について1987年から協議を開始した。その後、IAEAの後援の下、これら4ヶ国によってITERの概念設計活動(Conceptual Design Activity, CDA)が1988年から1990年まで行われた。 概念設計活動の終了後、より詳細な設計と、建設に必要な研究開発を行うことを目的として、上記4ヶ国(ソ連は1991年に崩壊したため、ロシアが継承)は工学設計活動(Engineering Design Activity, EDA)を開始することに合意し、「国際熱核融合実験炉のための工学設計活動における協力に関する欧州原子力共同体、日本国政府、ロシア連邦及びアメリカ合衆国の間の協定(EDA協定)」を1992年に締結した。当初の有効期間は6年間で、1998年に最終設計報告書が提出されたが、各国の財政事情から建設費用を軽減する必要が生じ、再設計のために工学設計活動の期間は3年間延長された。その後、財政上の問題や建設地選定の遅延等を理由として1999年に米国が離脱したが、他の3参加国により活動は継続され、延長後の最終設計報告書は2001年7月に完成した。 EDAの終了後、ITERの建設・運転等、計画の実施に必要となる国際協定について議論するために「ITER政府間協議(ITER Negotiations Meeting)」が開始された。カナダは2001年6月にオンタリオ州クラリントンを建設候補地として提案していたため、EDAに参加した日本、欧州連合、ロシアの3ヶ国と並んで政府間協議に当初から参加した。第1回政府間協議は2001年11月にトロントにおいて行われた。2003年2月に開催された第8回政府間協議において、米国が計画に復帰し、また、中国が新規に参加した。さらに2003年6月には韓国が、2005年12月にはインドが新規に参加したが、一方でカナダが2003年12月に離脱し、現在の参加国は日本、欧州連合、ロシア、米国、中国、韓国、インドの7ヶ国である。 建設候補地については、カナダが2001年6月にオンタリオ州クラリントンを提案した他、2002年6月に日本が青森県六ヶ所村を、欧州連合がカダラッシュ(フランス)とバンデヨス(スペイン)をそれぞれ提案し、4候補地が誘致を競っていた。これらの候補地を参加国が共同で調査することを目的として、「サイト共同評価(Joint Assessment for Specific Site, JASS)」が2002年9月から12月にかけて実施され、報告書 (PDF) が2003年2月の第8回政府間協議において承認された。報告書は、差異はあるものの技術的にはどの候補地に建設することも可能としており、候補地間の総合的な優劣については言及しなかったため、候補地の決定は政治的な判断に委ねられた。その後、欧州連合は11月に候補地をカダラッシュに一本化し、また、カナダが連邦政府から財政的な支援を受けられなかったために12月に提案を取り下げたため、六ヶ所村とカダラッシュのみが候補地として残った。候補地の最終的な選定のために、参加国の閣僚級の代表による会合が12月に行われたが、日欧共に誘致を主張し、また参加国のうち米韓が日本支持、露中が欧州支持と拮抗したため、決定には至らなかった。その後、2005年5月にジュネーブにて日本とEUとの間で次官級協議が行われ、建設地決定に際して誘致国と非誘致国が合意すべき条件が話し合われた。後に発表された共同文書によれば、協議における合意内容は以下の通り。 誘致国は誘致できなかった国に対してITER建設費の10%分の調達枠を譲る 誘致国は誘致できなかった国にITER職員枠の10%を譲る 誘致国は誘致できなかった国が推薦するITER機構長候補を支持する 誘致できなかった国にITER関連施設を建設し、誘致国が建設費の50%を負担する これを受けて6月に再度閣僚級会合が開催され、建設地はカダラッシュに決定された。また、この合意に従い、11月に開催された次官級会合において池田駐クロアチア大使が機構長候補として承認された。 プロジェクトの実施主体となる国際機関として「イーター国際核融合エネルギー機構(仮称)」の設立が予定されており、その設立根拠となる国際協定である「イーター事業の共同による実施のためのイーター国際核融合エネルギー機構の設立に関する協定」に対する署名が2006年11月21日にパリのエリゼ宮において行われた。2007年10月24日、同協定の発効とともにイーター国際核融合エネルギー機構(イーター機構、ITER International Fusion Energy Organization)が正式設立され、初代機構長には池田要元駐クロアチア大使が就任した。また、調達枠と職員枠については、上記合意に基づき日本がEUから割譲を受け、EU、日本、その他5か国が4:2:各1の分担となっている。
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