幾何学的な理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:58 UTC 版)
外送理論は、少なくともアリストテレスの時代(紀元前4世紀)には幾何学的な分析と強く結びつき、エウクレイデス、ヘロン、プトレマイオスらによって発展させられる。これらの理論では、眼から発して対象物の表面に至る直線(視線)を分析する。とくに、この点を強調して視線理論(英:Visual ray theory, Ray analysis)とも言う。視線は眼(の奥の一点)から発して円錐状に広がる(visual cone) 。 視線理論の視線の進行方向を逆向きにして光に置き換えれば、現代の幾何光学の理論に近いものが得られる。この理論のもと、立体視や反射および屈折による像の変形、屈折の定量的な理論といった研究が、簡単ではあるが実験も交えて進められ、視学(光学)は天文学、音楽学、釣り合いの学(静力学)などと並んで、古代~中世の「混合的な数学」(数学に基づく経験科学)の重要な一部問となった。 幾何学的な理論は、測量や遠近法といった応用とも結びついた。科学史家Mark A. Smithは、理論の基本的な概念の起源を、むしろこれらの応用に求める推測を披露している。技術的な応用に加えて、視覚の明瞭さや錯覚の問題など、哲学的な感覚論で取り上げられていた問題も扱った。 原子論やアリストテレスの理論が振るわなかった理由の一つは、幾何学的な理論の基礎とはなれなかったことが挙げられる。アリストテレス派も視線論を採用するか、あるいは折衷して取り込もうとした。 紀元前100年ころの天文学者・数学者のゲミノスおよび、古代後期のアリストテレス派のアフロディシアスのアレクサンドロスは、「視線」の理論では因果関係の方向はどちらでもよく、「幾何学的な理論は特定の視覚論に縛られない」とした。特に数学的な色彩の強いエウクレイデスの理論については、そのような方向を目指していたとする解釈は、現在もある。ただし、エウクレイデスを含めてどの論者も視線の放出を明示的にのべており、また多くの論者は積極的に理論で活用している。 古代の視学の最高峰であるプトレマイオス『視学(光学)』は、幾何学的な理論の洗練に留まらず、アリストテレスの知覚論など、視覚論の幅広い要素を高いレベルで総合しており、古代視覚論の最高峰とされる。しかし、この著作は、古代や中世前半ではほとんど参照されなかった。また、視線の反射の理論とは別に、太陽光を反射させて一点に集める鏡(burnig mirror)の問題も、幾何学の一部として研究が進んでいたが、両者は別の学問とされた。 9世紀ころから、アラビア語圏でも、主にエウクレイデスを典拠にして幾何学的な視覚論の研究が始まった。「アラブの哲学者」キンディーは「点状解析」を初めて明瞭に用い、また光と視線の間のアナロジーを盛んに用いた。 この時期、アラビア語圏では、屈折についての議論は非常に混乱していた。屈折と反射のアラビア語訳に同じ単語があてがわれてしまったこと、『アルマゲスト』や古代末期の著述家たちの混乱した説明の影響、そしてプトレマイオス『視学(光学)』があまり知られていなかったことなどが原因だと思われる。 プトレマイオス『視学(光学)』が初めて言及されるのは、10世紀のイブン・サフルによってであり、彼のスネルの法則を仮定した上での回転双曲面レンズの理論は、プトレマイオスに刺激されたものだと思われる。同じくプトレマイオスの影響を強く受けた10-11世紀のイブン・ハイサムは、キンディーの理論も大いに活用して、光を主軸にした、幾何学的な理論を取り込んだ内送理論を作る。
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