幾何学様式
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幾何学様式(きかがくようしき)は古代ギリシアの陶芸で幾何学模様を多用した壷絵の様式であり、暗黒時代後期の紀元前900年から紀元前700年にかけてのギリシア美術史上の時代区分である。その中心地はアテナイで、エーゲ海の島々との交易によって各地に広まった[1]。
- ^ Snodgrass, Anthony M. (Dec. 1973). “Greek Geometric Art by Bernhard Schweitzer”. The Classical Review 23 (2): 249–252 2007年9月23日閲覧。.
- ^ 大プリニウス 『博物誌』 35巻、36巻
- ^ Geometric periods of pottery at Greek-thesaurus.gr
- ^ Coldstream, John N. (1979, 2003). Geometric Greece: 900-700 BCE. London, UK: Routledge. ISBN 0415298997.
- ^ Snodgrass, Anthony M. (2001). The Dark Age of Greece: An Archeological Survey of the Eleventh to the Eighth Centuries BCE. New York, USA: Taylor & Francis. ISBN 0415936365.
- ^ Morris, Ian (Sept. 1999). Archaeology As Cultural History: Words and Things in Iron Age Greece. London, UK: Blackwell Publishers. ISBN 0631196021.
- 1 幾何学様式とは
- 2 幾何学様式の概要
- 3 人物像の描かれ方
幾何学様式
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幾何学様式 (geometric style) は紀元前9世紀から紀元前8世紀に流行した。ミノア文明やミケーネ文明の図像とは断絶した新たなモチーフを特徴とし、雷文、三角形などの幾何学模様が多いが、従来の様式に多かった円を基本とした図形は少ない。特によい例として墓の副葬品がある。もともと副葬品としてまとめて制作されたと見られ、アッティカや他のギリシャ本土や島々の様式の違いがはっきり出ていることが多い。ただし、年代は海外に輸出された年代推定可能な形で出土した陶器に基づいている。 初期の幾何学様式(紀元前900年から紀元前850年ごろ)は抽象的模様だけの “Black Dipylon” と呼ばれる様式で、黒い上薬を多用しているのが特徴である。中期幾何学様式(紀元前850年から紀元前770年ごろ)では、人物や動物の姿と思われる装飾が見られるようになる。当初は帯状に動物(馬、鹿、山羊、ガチョウなど)が並んだ装飾で、それと幾何学的な帯とが交互に描かれていた。絵付師は何も描かれていない部分を残すのをいやがったようで、隙間を埋めるようにメアンダーや卍が描かれている。このような余白をいやがる傾向を空間畏怖と呼び、幾何学様式時代の最後までその傾向はやまなかった。 紀元前8世紀中ごろ、人間の姿が描かれ始めた。代表例としてアテナイの古墳ケラメイコス(ディピュロン)で見つかった陶器がある。それらの陶器片には主にチャリオットや戦士の行列か葬式の行列が描かれていた。これを πρόθεσις / prothesis(死者の陳列と悲嘆)または ἐκφορά/ ekphora(墓地への棺の輸送)と呼ぶ。若干盛り上がっているふくらはぎ以外の体の部分は幾何学的に単純に表現されている。戦士像はディアボロのような真ん中が細い盾で隠すようにしており、その特徴的な描き方から “Dipylon shield” と呼ばれている。馬や戦車も遠近などを考慮せずに横から見た形が描かれている。絵付師の署名がないため、この絵付師を「ディピュロン・マスター(英語版)」と呼んでおり、いくつかの記念碑的アンフォラもこの絵付師のものとされている。 この時代の末期にはギリシア神話を描いた陶器が見られるようになった。ほぼ同じころホメーロスがトロイアの叙事詩環を『イーリアス』や『オデュッセイア』にまとめたと考えられる。しかし、具体的にそれぞれがどういう場面を描いているかを現代の視点で解釈することは危険が伴う。2人の戦士が対峙している絵はホメーロス的決闘の場面と見られるが特定は難しい。故障した船はオデュッセウスの難破を表しているとも見られるが、別の不運な船員かもしれない。 この時代の末期にはギリシャ各地方に流派ともいうべきものが形成されている。陶器生産はアテナイで特に盛んだった。原幾何学様式の時代と同様、コリントス、ボイオーティア、アルゴス、クレタ島、キクラデス諸島でも陶工や絵付師はアッティカの新様式に追随することに満足していた。しかし紀元前8世紀ごろからそれぞれの地方独自の様式が生まれた。アルゴスでは絵画的場面を描く方向に特化し、クレタ島では厳密に抽象的な図形を描くことに固執し続けた。
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