イブン・ハイサムとは? わかりやすく解説

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イブン・ハイサム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 17:20 UTC 版)

イブン・ハイサムابن الهيثم, Ibn al-Haytham もしくは Ibn al-Haitham, イブン・アル=ハイサム, ラテン名: アルハゼン)は、イスラム圏の数学者天文学者物理学者医学者哲学者音楽学者[1]965年 - 1040年)。


注釈

  1. ^ 本節の記述は、断りのないかぎり、Smith 2001のintroduction, Lindberg 1976. 及び Raynoud 2016のintroduction及び Chapter 3による。なお、イブン・ハイサムまでの前史においては、古代末期やイスラム期の進展(6世紀のヨハネス・ピロポノスや9世紀のキンディーなど)も無視できない。
  2. ^ 英語では the punctiform analysis[16] または the point analysis[17] とされる。
  3. ^ これらの視線の理論の背景としては、プラトンやストア派の影響が考えられる[18]。プラトンの視線の理論については『ティマイオス』に詳しい[19]
  4. ^ 霊魂論』『感覚と感覚されるものについて』など。ただしガレノスとは異なり、眼や神経の構造やそこにおける具体的なプロセスには触れない。
  5. ^ ただし、古代後期から末期にかけて、アフロディシアスのアレキサンドロスピロポノスらの注釈家たちは、光源の作用はまず近辺の空気に作用し、ついで隣接する空気に作用し。。と直線状に効果が伝播するとした。この伝播はまず光源から視覚対象へ、ついで視覚対象から眼に至る。この経路は光学家の「視線」と同じコースを逆に辿るとして、光学家の理論とアリストテレス的な視覚論を折衷した。このほか、原子論者も独自の視覚論を立てており、主流とはならなかったものの、古代の著作家が視覚論を列挙する際には、外送理論と並んでしばしば言及されている。
  6. ^ イブン・ハイサムの考えでは、「色は光とは別のものであって、各々の物体の性質の一つである」とされ、「光と合わさって物体から眼に伝搬する。また、光源が発する一次光(primary light)が不透明な物体に照射されると、一度すべて吸収され、あらたに二次光(secondary light)が生じる」とされた。「一次光と二次光は違ったもの」とされたので、反射や屈折などの法則はすべて各々別に確認されている[21]。なお、現在では、色は光の性質である波長の反映であり、また一次光と二次光の区別は存在しない。
  7. ^ フナイン・イブン・イスハークの『眼科学についての十章』(英語版)などに依拠していると思われる。フナインの同書は水晶体を眼球の中央に据えた。これはガレノスが水晶体に視覚の機能の中核を担わせたからであり、眼の断面図と正面図を一枚の図で表すためにも都合がよかった。また、白内障が水晶体と角膜の間にある白濁と考えられたため、その外科手術の経験からも水晶体の位置はやや奥にあるとされていた。ただし、眼の様々な部分の形状や配列順序の記述はおおむね正しい。最終的に水晶体の位置が修正されるのは16世紀末で、ケプラーはこの成果を利用している。
  8. ^ Kheirandish, 2009の導入部分には、例えば、近代における「探求的な実験」は中世にはなく「検証的な実験」だけがあるといった主張が紹介されている。また、『光学の書』などにおいて、実験の数値的なデータが示されていることがないこと、用いられた機器が簡素であること(壁に穴をあけた暗い部屋など)であることは同書の翻訳Smith, 2001などで確認できる。さらにSmith, 2001のintroductionでは実験が圧倒的に数が多くかつ効果的に用いられていることを認めながら、プトレマイオス『光学』ですでに実験が用いられていることを指摘。一方、Raynoud 2016では、『食の形について』の分析から、イブン・ハイサムの手法が近代的な実験科学の手法が満たすべき様々な基準をみたしているとする。またSabra 1994やRaynoud 2016は用語の分析から、プトレマイオスの天文学における、データによる仮説の検証の影響を主張している。
  9. ^ この手法は元々は9世紀の「アラブの哲学者」キンディーが視線の理論の改良のために開発したもので、イブン・ハイサムはそれを新たな光の理論に合わせて改変した上で洗練した。
  10. ^ 最も古いこの現象の記述は古代中国の『墨子』に見える。簡潔な文章の中に像の反転など重要なポイントを的確に指摘している。
  11. ^ アリストテレスの名を冠した古代の『問題集』には木の葉の隙間から洩れた光の像が穴の形に従わずに太陽の形になり、日食時にはその欠ける様も反映されることを指摘している。また、網篭の四角形の隙間から洩れる光の像が丸みを帯びることも指摘している。共に穴の形と映される像の関係についての問題である[23]。同書では月の場合は満ち欠けが象に反映されないとしている。なお、穴が点で近似できるほど小さいカメラ・オブスクラについては、ラテン語訳された『光学の書』にもやや詳しく述べられており、アリストテレスの名を冠した『問題集』などとともに欧州での研究の出発点になっている。
  12. ^ 穴が円形の場合については詳しく述べ、それ以外の形の穴の場合は同様の解析が可能であることと結論だけを述べている。この詳細も含めて詳しく明らかにしているのは、後に述べるal-Farisiである。彼は実験においても飛ぶ鳥を映しだすなどより進歩している。
  13. ^ 13世紀の後半、ロジャー・ベーコンら欧州の錚々たる光学家たちがこの問題について迷走した[24]。Pechamは彼の手になる光学書で「光は丸くなる傾向がある」などとし、カメラ・オブスクラの現象と光の直進性が両立しうるか疑問を呈した。
  14. ^ なお、イスラム世界においては、14世紀初頭にal-Fārisī(英語版)がイブン・ハイサムの研究を実験・理論双方において深めている。欧州においても14世紀にポーランドのEgidius of Baisiuとフランス南部のユダヤ人学者ゲルソニデスが正しい方向に向かった理論的な考察をしており[25]、後者はそれを太陽の視半径の観測に応用していた。ただし、それらもまだ不完全な点が多々あり、また広く知られることはなかった[26]
  15. ^ この呼び名は17世紀欧州に由来する。現在は最初に問題を提出したプトレマイオスの名も併せて冠することがある。
  16. ^ Smithも指摘しているように、本問題のレビューの多くが混乱している[27]
  17. ^ 本問題の代数的な側面は、現代でも趣味的で周辺的ななテーマとしてではあるが、一定の興味を引いている[28]
  18. ^ Smith自身はこの実験は行われなかったと推測している[30]
  19. ^ 彼のこれらの説明は今は誤りであることが示されている[31]
  20. ^ それらの中で『放物線鏡による集光』はラテン語訳され広く読まれた。これは紀元前2-3世紀の数学者Dioclesの放物線鏡に関する『集光鏡について』の写本において、証明が完全に欠落していたのを補ったものである。また『球面レンズによる集光』は後に述べるal-Farisiによって発展され、虹の研究に生かされた
  21. ^ 『虹と暈について』において、雲全体が一つの球面鏡を成すとして光の反射の法則を用いて虹の形状を説明した[32]。勿論この理論は今日において正しくない。
  22. ^ Sabra, 1989による。ただし、Rashedは『光学の書』の反射や屈折を扱った部分のかなりの部分が、問題の記述こそ形式的に視覚をもちだすものの、実質的には光そのものの研究であるとしている[34]
  23. ^ スペインの西方イスラム世界では多少様子が異なる[35]
  24. ^ 他にウィテロのPerspectiva, Ibn Muʿādh al-JayyānīのLiber de crepusculis が収録されている。

出典

  1. ^ 湯浅赳男『面白いほどよくわかる 世界の哲学・思想のすべて』日本文芸社、平成17年2月1日改訂第1版、ISBN:4-537-11501-7、p162
  2. ^ a b ابن الهَيْثَم” (アラビア語). islamic-content.com. 2022年8月31日閲覧。
  3. ^ Smith, A. Mark, ed. and trans. 2001のintroductionなどを参照
  4. ^ a b بحث عن ابن الهيثم” (アラビア語). موضوع. 2023年1月8日閲覧。
  5. ^ ص83 - كتاب الأعلام للزركلي - الاهوازي - المكتبة الشاملة”. shamela.ws. 2023年7月26日閲覧。
  6. ^ ص123 - كتاب شمس الله تشرق على الغرب فضل العرب على أوروبا - الابن الثاني لموسى الفلكي - المكتبة الشاملة”. shamela.ws. 2023年7月26日閲覧。
  7. ^ a b c ابن الهيثم .. أظهر الجنون ليسلم من ظلم الحاكم” (アラビア語). صحيفة الاقتصادية (2015年3月3日). 2023年1月8日閲覧。
  8. ^ ابن الهيثم.. أول من درس عدسة العين” (アラビア語). www.aljazeera.net. 2023年1月8日閲覧。
  9. ^ لماذا ادعى الحسن ابن الهيثم الجنون فى مصر.. تعرف على القصة” (アラビア語). اليوم السابع (2018年3月6日). 2023年1月8日閲覧。
  10. ^ a b Almahdi, Faisal (2018年10月12日). “قصة فشل "ابن الهيثم" في إقامة السدود بمصر -” (アラビア語). التقدم العلمي للنشر والتوزيع. 2023年1月9日閲覧。
  11. ^ ابن الهيثم - مفكرون” (アラビア語). mufakeroon.com. 2023年1月9日閲覧。
  12. ^ ابن الهيثم .. عبقري في ثوب الجنون (في ذكرى مرور 992 سنة على وفاته)” (アラビア語). إسلام أون لاين. 2023年1月8日閲覧。
  13. ^ سدّ الحسن بن الهيثم” (アラビア語). صحيفة الخليج. 2023年1月8日閲覧。
  14. ^ ص124 - كتاب مجلة الرسالة - الحسن بن الهيثم - المكتبة الشاملة”. shamela.ws. 2023年7月26日閲覧。
  15. ^ 残りの2つは天文学書『世界の配置』(Configuration of the World)と光学書『放物線鏡による集光』(On parabolic burning mirrors, Liber de speculis comburentibus)。Smith, 2001のIntroduction,1.Ibnal-Haytham: A Biobibliographic Sketch および http://www.jphogendijk.nl/ih/ibnalhaytham.html を参照
  16. ^ Smith 2001及びLindberg 1976
  17. ^ Raynoud, 2016
  18. ^ Smith 2001, Rusell 1996などを参照。
  19. ^ 『ティマイオス』田之頭安彦訳、岩波書店1975年9月13日、p195
  20. ^ アリストテレス『感覚と感覚されるものについて』
  21. ^ a b Sabra, 2003
  22. ^ Russell 1996
  23. ^ Raynaud, 2016 などを参照。
  24. ^ Lindberg 1968を参照。
  25. ^ ゲルソニデスについては Goldstein B.R. (1985) The Astronomy of Levi ben Gerson (1288–1344). A Critical Edition of Chapters 1–20 with Translation and Commentary. Springer に詳しい。
  26. ^ Raynaud 2016 参照。
  27. ^ Smith,2008 を参照。
  28. ^ Smith,2018およびen:Alhazen's problemなどを参照。
  29. ^ Rashed, 1996
  30. ^ Smith, 2010, vol.1 pp. liii-lvi を参照。
  31. ^ Smith 2010, vol. 2の注193と194を参照。
  32. ^ Sabra, 1983, vol 2., page xlvi
  33. ^ Smith,2001などを参照。また、 Goldstein, B. (1977). Ibn Muddādh's Treatise On Twilight and the Height of the Atmosphere. Archive for History of Exact Sciences, 17(2), 97-118も参照。
  34. ^ a b Rashed, 2016
  35. ^ Sabra 2008.
  36. ^ Sabra, 1989
  37. ^ Sabra, 1989, Rashed 1996
  38. ^ Smith, 2001
  39. ^ Abattouy, 2002, Rozhanskaya, M, 1996
  40. ^ Smith, 2001, Sabra,1989
  41. ^ Saliba, George Islamic Science and the Making of the European Renaissance, MIT Press, 2007
  42. ^ 鈴木 1992
  43. ^ Eckart 2018
  44. ^ Rashed, R., 2013


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