山陽鉄道時代とは? わかりやすく解説

山陽鉄道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 03:25 UTC 版)

中上川彦次郎」の記事における「山陽鉄道時代」の解説

三菱荘田平五郎から社長就任要請があり、1887年明治20年山陽鉄道現在のJR山陽本線前身創設時社長となる。建設当たっては、瀬戸内海航路との競争意識して、「線路勾配100分の1以内10パーミル以内)にせよ」との方針打ち出し、「百分の一」「ワン・ハンドレッド」とあだ名された。しかし90年不況影響経営不振となり、工事ストップしたまま、1891年明治24年)に社長辞任する1892年明治25年)、社長に就任した松本重太郎借入金社債発行により資金調達の道をつけ、三原広島間の敷設1894年明治27年)までに完成させた。

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山陽鉄道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:12 UTC 版)

山陽本線優等列車沿革」の記事における「山陽鉄道時代」の解説

1888年明治21年11月 現在の山陽本線建設運営した私鉄である「山陽鉄道」が、初の開業区間である兵庫駅 - 明石駅間を開通させる。 1889年明治22年9月 山陽鉄道神戸駅 - 兵庫駅間を開業させ、官営による現在の東海道本線連絡するようになった1894年明治27年10月 山陽鉄道が、神戸駅 - 広島駅間(この年6月開業)に日本初長距離急行列車運転開始。この当時急行料金徴収せず、普通列車同様乗車券のみで乗車できた。神戸 - 広島所要時間上下列車それぞれ8時間47分・56であった1895年明治28年10月 急行列車官営鉄道東海道本線乗り入れ関西発着駅を京都駅とする。(後には大阪駅発着列車設定1899年明治32年5月 当時昼行夜行あわせて4往復あった急行列車のうち1往復日本初となる食堂車連結1900年明治33年4月 夜行急行列車1往復に、日本初となる寝台車連結1901年明治34年5月 山陽鉄道神戸駅 - 下関駅間を全通させる。4往復直通急行列車設定され、うち1往復は「最急行」と呼ばれ特に高速走った神戸 - 下関間の最急行所要時間上下それぞれ12時35分・40であった1903年明治36年2月 最急行神戸 - 下関間の所要時間上下それぞれ11時間30分・20分にまで短縮日露戦争前の最高記録となった1904年明治37年7月 日露戦争勃発影響により、急行列車全廃1905年明治38年8月 官営鉄道東海道本線乗り入れ新橋駅 - 下関駅直通急行列車登場させる。しかしながら時期尚早だったのか、3ヶ月廃止となった新橋 - 下関所要時間上下それぞれ35時間16分・5分だった。 1906年明治39年4月最急行」が復活、しかし神戸 - 下関間の所要時間13時間30前後戦前よりだいぶ遅くなった。山陽鉄道鉄道国有法公布により国有化

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