パラダイム
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パラダイム (paradigm) とは、科学史家・科学哲学者のトーマス・クーンによって提唱された、科学史及び科学哲学上の概念。一般には「模範」「範」を意味する語だが、1962年に刊行されたクーンの『科学革命の構造(The structure of scientific revolutions)』で科学史の特別な用語として用いられたことで有名になった。しかし、同時に多くの誤解釈や誤解に基づく非難に直面したこと、また、概念の曖昧さなどの問題があったために、8年後の1970年に公刊された改訂版では撤回が宣言され、別の用語で問題意識を再定式化することが目指された。
- ^ トーマス・クーン(中山茂 訳)『科学革命の構造』(みすず書房、1996年)18頁。
- ^ 『科学革命の構造』、第二章。
- ^ 野家啓一『現代思想の冒険者たち24 クーン』講談社、1998年、214~218頁。ISBN 4-06-265924-7。
- ^ 野家啓一『現代思想の冒険者たち24 クーン』講談社、1998年、219頁。ISBN 4-06-265924-7。
- ^ アルキメデスの「砂粒を数えるもの」に引用されている。アリスタルコスの論文(「太陽と月の大きさと距離について」)はひとつ残されているが、そこには地動説の主張はない。
- ^ 天羽康夫(1976) スミス『天文学史』についての一考察、高知大学学術研究報告 社会科学・社会科学篇(25). p.101-102.
- 1 パラダイムとは
- 2 パラダイムの概要
- 3 競合するパラダイム
- 4 脚注
- 5 外部リンク
専門図式
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1962年の初版において、クーンは、パラダイムと科学者集団のアイデンティティの関連を主張していた。しかし、この宣言においては、自らの導入する概念が、科学者集団にとってではなく、歴史家の観点にとって意義を持つものであることが明示されると同時に、焦点が当てられているのが、“専門に携わるための共通な教育と専門的出発点とをもった専門家たちの集団”としての科学者集団であると、問題が再定義された。 その上で、かかる専門家集団において意思疎通を容易ならしめ、専門的判断を安定せしめる共通の基礎があることを指摘し、それをこそ問題としており、それを指し示す用語として「専門図式」を提案した。この専門図式には、四つの重要な要素がある。それらをクーンは、記号的一般化、特定のモデルに対する確信、価値、見本例と呼んだが、とりわけ重要視されるのが最後の見本例(exemplars)である。 科学者が研究の現場で受け入れているものごと、例えばF=maのような式があるとして、それがいかなる点でいかなる手段によって彼らがそうするようになったのか、言い換えれば科学者がある実験に際して、いかにして「力」とか「質量」とか「加速度」を取り出すことを習ったかをクーンは問う。 実験において、ある問題から別の問題へと移行するうちに、F=maのような式は変形される。一度変形された式は、いままで関連付けられなかったものとの関連付けられ、今までの文献には出てこなかったようなものにさえなる。では、こうした変形とは一体いかなるものであり、そのやり方を学生はどこで学ぶのだろうか。 クーンによれば、こうした変形は一種のアナロジーを捉えることである。すなわち、今まで出会ったことのない問題を、出会ったことのある問題と同様に見なすことなのである。たとえばF=maのような法則のスケッチは、一つの道具として機能する。つまり、いかなる類似点を見つけるべきかを教え、見出されるべき状況のゲシュタルト(形態)を与えてくれるのである。 科学者は、二つあるいはそれ以上の特徴的問題間のアナロジーを捉え、類似点を見出し、記号を関連付け、既に有効であることが証明済みの方法でそれらを結びつける。このような様々な状況の間の類似性を見出す能力は、学生が例題をペンと鉛筆で、あるいは実験室の中で実習を行なうことによって得られるのだ、とクーンは指摘する。 こうしたスケッチは、当然ながらポパー派のような科学哲学者たちの描く科学像とは異なっている。ポパーらの考えによれば、科学知識は何よりも理論とルールで表されているのだから、それらを学習しなければ学生は問題を解くことができない。 しかし、未訓練の素人が、いくら理論とルールを教え込まれても、それが“実験室でどのような見え方をするのか”が分からなければ、何に着目すればよいのかすら分からず、つまりは実態的な作業としての研究に取り組みようがない。実験機器の計器の針の位置が針の物理的な位置以上の意味を持つことを理解し得ないならば、霧箱の中を走る「斜線」が宙に浮かぶ不思議な直線にしか見えないならば、研究作業は不可能である。 理論やルール等々がいくら単なる知識として学習されても、それをいわば“適用する”仕方が分からなければ、実際の研究過程においては役には立たないのだ。全く具体的かつ個別的な、一つ一つの実験や観測の場において、何に対して反応し、何に着目すればよいのかを学生が習得するのは、学生が「例題を解く」過程において、問題を解くことそれ自体ではなく、問題を解くことを通じて類似的関係を「発見」することに習熟するからである。 そしてこのとき、“理論や概念を適用する”という言い方が、もはや正しくないことに注意しなければならない。すなわち、学生が「例題を解く」ことによって習熟する事柄とは、実際の研究過程における知識のシステムないしネットワークにおける働きに即して、そしてその場合にのみ理論や法則などが意義をもつということでもあるからだ。言い換えれば、研究過程に先立って、独立ないし孤立した状態において存在する理論や概念があり、研究者がそれらを“適用する”わけではないのだ。いかなる理論であれ概念であれ、ある知識のネットワークの一要素としてのみ、理論や概念といったものが知識としての意義を獲得するのである。 こうした次元によって科学を特徴付けることをクーンは、マイケル・ポランニー [1966=1980] にならって「暗黙の知識」と呼び、それは科学に携わるルールというよりも、科学に実際に携わることによってのみ学ばれると位置付けた。こうした主張は、科学を個人的直感の上に置こうとする非合理主義として非難を浴びた。しかし、この非難はあたっていない。そうしたものを直感と呼ぶとしても、それは、すでに成果を挙げてきている専門家集団が取捨選択を重ねてきたものとして共有されたものであり、新人たる学生はこの集団のメンバーになる準備の一環としての訓練において、その「直感」を獲得するからである。
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