宣伝広告・テレビCM
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 07:33 UTC 版)
「マスプロ電工」の記事における「宣伝広告・テレビCM」の解説
当社のテレビCMに登場する、頭にアンテナ風のツノがある雷神兄弟のマスコットはマスプロサンダーズ(MASPRO THUNDERS)と呼ぶ。1969年(昭和44年)にテレビCMで登場し、その後、1977年(昭和52年)までテレビCMや雑誌広告に用いられていた。2006年(平成18年)8月よりテレビCMに復活した。マス坊(MAS-BOH):雷神の少年。現在、マス坊同様、頭にアンテナ風のツノがある民放連のマスコット「地デジカ」と共演し「地デジもマスプロ」とのセリフで締め括るテレビCMが流れている。 プロ子(MISS PRO-KO):雷神の女性。現在、女医として患者のブラウン管アナログテレビにデジタルチューナーを処方するテレビCMが流れている。 テナ子(TENA-KO):雷神の少女。 1969年(昭和44年)から始まった、女性モデルがネグリジェ姿でハンドマイクを持ち「あぁん、見えすぎちゃって困ァるのォ〜」と唄い(実際の歌声は伊藤アイコ)、マスプロサンダーズのマス坊が雲の上から立小便(後に、じょうろに変更)で雨を降らせ、ネグリジェが濡れ透けてビキニが見えてしまった後に、マス坊の「見えすぎちゃったね」とのセリフで締め括るテレビCMがお馴染みとなった。このテレビCMは「お色気コマーシャル」として当時強いインパクトを持って受け入れられ、また、女性モデルを毎年のように変更(秋月ミカ、藤ミツ子、他)しながら1977年(昭和52年)まで流されたこともあり、マスプロ電工・マスプロアンテナの宣伝広告として大きな効果を挙げた。さらに、「〜過ぎちゃって、困る」というフレーズは森尾由美やマス坊のセリフにも引き継がれ、「便利過ぎちゃって、困る」と機能の優秀性を訴えるコピーに使われた(森尾時代には、「困る」の部分だけ音声をカットしたバージョンも存在。変更の意図は不明)。 歌手の青江三奈が、1970年(昭和45年)より1979年(昭和54年)まで、当社のテレビCMへ出演していた。「あなた知ってる〜 マスプロアンテナ〜 見えすぎちゃって 困ァるのォ〜」と、「伊勢佐木町ブルース」の替え歌を唄い、サンバイザーにミニスカート姿でゴルフのグリーンでパッティングをしているものが最初である。こちらのテレビCMも、パッティングする際にミニスカートの中が見えるシーンが強調されていることから、「お色気コマーシャル」として当時強いインパクトを持って受け入れられた。その後、青江三奈が出演する当社テレビCMは「お色気コマーシャル」では無くなった。なお、上述の伊藤アイコ版のCMソングと一部歌詞が共通であるが、曲調は全く異なる。 1980年代に入ると、当社内でテレビCMの効果を疑問視する声が出て放送をやめることとなったが、製品等の売上は減少することなく、テレビCMの放送をやめた事で抑制された広告宣伝費用の減少額分がそっくりそのままの金額で利益に移動する形となった。このことはテレビ関連機器のメーカーがテレビCMを否定しかねない皮肉な結果となったが、1970年代に流された前述のテレビCMが「テレビアンテナ=マスプロ電工」を強く印象付け、テレビCMをやめてもその遺産が残っていたに過ぎない、とも指摘された。その後、テレビCMの放送は再開され、1999年(平成11年)放送バージョンには葵千智が出演している。 1977年(昭和52年)で「お色気コマーシャル」は止めたものの、伊藤アイコ版のCMソング「あぁん、見えすぎちゃって困ァるのォ〜」は1993年(平成5年)に再び使われ、こちらのCMでは「うっそみたい」というセリフで締め括っていた。 一方、マスプロサンダーズの登場するCMは2006年(平成18年)8月よりハイビジョンサイズで復活使用している。 1980年代に川崎球場のバックネット裏に「MASPRO マスプロ電工」の看板がかけられていた。東京ドームにも外野フェンス(左中間近辺)にも2000年代中期まで看板あった。(現在は撤退)現在はナゴヤドーム外野に「MASPRO」のロゴのみの看板がある。 会社設立当時は本社・工場は愛知県名古屋市にあったが、1961年(昭和36年)に名古屋市郊外の愛知郡日進町(現・日進市)に日進工場を建設、1966年(昭和41年)に本社も同所に移転した。しかし、愛知郡日進町大字浅田という地名から、名古屋の会社であることを認識してもらえないことなどもあり、資料請求の住所を「名古屋市外日進町浅田」として字名・番地を省略していた。変則的な表記であったが、これも一種の企業イメージ宣伝とも言え、折しもUHFテレビ局の大量開局に伴うUHF受信機器の売上などで、多くマスコミに取り上げられて会社の知名度を上げたことと、1968年(昭和43年)に導入された郵便番号制度のお陰で、誤配されることは少なかった。日進町が1994年(平成6年)に日進市となると、「名古屋市外日進町浅田」は使用されなくなったが、1998年(平成10年)の郵便番号7桁化により、大口事業所として会社独自の郵便番号「470-0194」を取得した。今でも一部媒体では所在地住所を「愛知県日進市浅田町」のように、旧字名と番地を省略した形で紹介している。 製品パッケージ・取扱説明書・カタログ等に記載されている規格表には、「マスプロの規格表に絶対うそはありません。ご理解と信頼あるデータにご期待ください。(または「保証します。」)」の文言が書き添えられている。
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