宣伝戦及び特殊任務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/19 21:21 UTC 版)
「ゾンダーコマンド・ノルト」の記事における「宣伝戦及び特殊任務」の解説
ゾンダーコマンド・ノルトでは自由フィンランド放送(Vapaa Suomi)と呼ばれるフィンランド語のラジオニュースを発信していた。ラップランド戦争中にはドイツへの協力と赤軍への反抗がここで訴えられた。フィンランド向け伝単の作成もゾンダーコマンド・ノルトが担当していた。1945年1月17日、ブロス少佐はストックホルムにおけるフィンランド枢軸派亡命政権の設置などを提案したが、現地抵抗運動を代表するヨハン・ファブリティウス(フィンランド語版)元中佐はこれを断っている。 ゾンダーコマンド・ノルトでは、1945年2月から暗号通信に関する諸訓練などフィンランド本土における諜報活動を想定した訓練を開始した。これらの隊員は様々な手段で募集され、例えばラップランド戦争における戦争捕虜であったり、自主的にドイツ側に転じたフィンランド義勇兵であった。さらにドイツ占領下のノルウェー・コンスヴィケニン要塞(Kongsvikenin)では元将校や義勇兵の一部、元商船乗組員や技術者などが武装親衛隊士官としての教育を受けた。 第1猟兵連隊「オットー・スコルツェニー少佐」(Majuri Otto Skorzenyn Jagdregiment 1-rykmenttiin)は、ノイシュトレーリッツにて武装SSフィンランド義勇兵旅団を元に編成された。この部隊では特殊任務に関する訓練が想定されていたものの、十分な訓練を行う余裕もなく、多くは現地の通信教育員として活動した。隊員の一部はフィンランドへの派遣が間に合わず、終戦までノルウェーで活動した。 ゾンダーコマンド・ノルトに所属した隊員で最も有名なのはラウリ・トルニ大尉であろう。トルニは1945年1月からドイツにて破壊活動の訓練を受け、フィンランドや東部戦線各地で活動した。また彼は戦後になって対独協力を理由に反逆者とされ、懲役6年と市民権剥奪4年を言い渡された上、軍階級を剥奪されている。
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