侍所別当とは? わかりやすく解説

侍所

(侍所別当 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 09:07 UTC 版)

侍所(さむらいどころ)は、鎌倉幕府室町幕府において、軍事警察を担った組織。


  1. ^ 滑川(元木)、2020年、P263-264.
  2. ^ 滑川(元木)、2020年、P264-277.
  3. ^ 滑川(元木)、2020年、P277-278.
  4. ^ 木下、2014年、P137-145
  5. ^ 『言継卿記』大永7年10月24日条に侍所開闔松田頼興が足利義晴の出陣に兵200を率いて従ったこと、同天文14年6月17日条に祇園祭の際に発生した喧嘩騒ぎを侍所開闔松田盛秀(対馬守)が300人を動員して鎮圧したことが記されている
  6. ^ 木下、2014年、P145-159


「侍所」の続きの解説一覧

侍所別当

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和田義盛」の記事における「侍所別当」の解説

久安3年1147年)、三浦義明の子である杉本義宗の子として誕生和田氏坂東八平氏一つ三浦氏支族で、相模国三浦郡和田の里、あるいは安房国和田御厨所領があったことから和田を姓とする。 治承4年1180年8月22日三浦氏伊豆国平氏打倒挙兵をした源頼朝味方することを決め頼朝合流すべく義明の子三浦義澄以下500余騎を率いて本拠三浦半島出立した。義盛と弟の小次郎義茂(よししげ)もこの軍勢参加している。だが、三浦勢が丸子川酒匂川)まで来たところで、大雨増水のために渡河できずにいたところ、23日夜、石橋山の戦い平家方の大庭景親頼朝軍を撃破してしまった。 頼朝行方知れずになり、やむなく三浦勢は三浦半島へ兵を返すが、24日帰路鎌倉由比ヶ浜平家方の畠山重忠軍勢遭遇して合戦となった『源平盛衰記』によれば武勇にはやる義盛が畠山の陣の前で名乗りをあげて挑発してしまい合戦なりかかるが、双方縁者も多いことからとりあえず和平がなった。ところが事情知らない義茂が畠山の陣に突入して合戦になってしまい、双方戦死者出して兵を退いた小坪合戦)。 26日畠山重忠は他の平家方と合わせて数千騎で三浦氏本拠衣笠城襲った。義盛は西の木戸口を守るが、三浦一族先日合戦疲労しており、やむなく城を捨てて海上逃れることになったその際に、89歳と老齢だった祖父三浦義明は「今、この老いた命を武衛頼朝)に捧げて子孫繁栄をはからん」と言い一人城に残って奮戦して討ち死にした衣笠城合戦)。 義盛ら三浦一族海上頼朝の舅北条時政らと合流29日安房平北郡猟島で頼朝迎えた『平家物語』によれば、この時、義盛は「父が死に子孫死んでも、頼朝公のお姿を見ればこれに過ぎる悦びはない。どうか本懐遂げて天下お取りください。その暁には私を侍所別当任じてください上総介だった伊藤忠清平家から八カ国の侍所別当に任じられ、その威勢羨ましく思い、いつか自分もと八幡大菩薩祈願いたしたのです」と願ったという。 9月安房集結した頼朝方の残党再挙図り各地武士に参陣を命じたその内でも有力な千葉常胤には安達盛長が、上総広常には義盛が使者となった。常胤は直ち挙兵して頼朝迎えたが、広常はなかなか応じなかった。頼朝安房発し房総半島北上し千葉氏らを加えて隅田川達したとき、広常は2万騎大軍率いて参じた。広常は頼朝器量しだいではこれを討ち取るつもりだったが、頼朝威厳打たれ心服したという。 10月由比ヶ浜戦った畠山重忠含め東国武士続々参じ数万騎の大軍となって頼朝源氏本拠鎌倉入った10月20日駿河国富士川の戦い平維盛率い平家軍を撃破した頼朝関東固めに入り11月常陸国佐竹氏討ち、義盛と広常は佐竹秀義生け捕りにした。11月17日鎌倉凱旋し、そこで関東統治のための諸機関設置。義盛は安房での望みどおりに侍所別当に任じられた。12月鎌倉大倉の地に頼朝御所完成し、その入御儀式際し、義盛は居並ぶ御家人最前立った

※この「侍所別当」の解説は、「和田義盛」の解説の一部です。
「侍所別当」を含む「和田義盛」の記事については、「和田義盛」の概要を参照ください。

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