住居表示実施以降の町名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 02:34 UTC 版)
「長崎市の地名」の記事における「住居表示実施以降の町名」の解説
上町(うわまち) 1963年、東中町、東上町の南半、小川町・八百屋町の一部より発足。6街区。住宅地。商店も多い。長崎放送がある。 魚の町(うおのまち) 1963年、本大工町、今魚町、酒屋町の東半・紺屋町の中島川右岸より発足。10街区。商店やマンションが多い。長崎市公会堂、長崎市民会館がある。川沿いが中島川公園として整備されている。 江戸町(えどまち) 1963年、江戸町、玉江町3丁目、外浦町の南半、築町の一部より発足。10街区。長崎県庁があり、町の半分近くを県庁が占める。その他、東部に江戸町商店街があるなど、商店が多い。中央橋バス停・交差点があり、交通の要所である。 恵美須町(えびすまち) 1963年、恵美須町の南半、船津町、大黒町・小川町の一部より発足。10街区。商店が多い。南東部4・5番を瓊の浦(たまのうら)公園が占める。長崎中央郵便局がある。 尾上町(おのうえまち) 1963年、尾ノ上町、高砂町1-4丁目より発足。8街区。JR長崎駅があり、車両基地やアミュプラザ長崎を含め、JRの敷地が町の大半を占める。そのほかには、浦上川道路沿いに若干の事業所などが見られる。国道206号が地内東端を走り、それと稲佐地区・旭町の国道202号との間に旭大橋がかかる。 金屋町(かなやまち) 1963年、今町、金屋町、堀町の北半、興善町の北半より発足。9街区。町内を縦断するとおりはゆるやかなカーブと坂になっている。商店やマンションが並ぶ。テレビ長崎がある。 興善町(こうぜんまち) 1963年、本興善町、新町、興善町の南半、豊後町の西半、引地町の西半、堀町の南半より発足。6街区。国道34号線が縦貫する長崎市屈指のオフィス街で、長崎市消防局、長崎市立図書館もある。 栄町(さかえまち) 1963年、袋町、本紺屋町の東半、酒屋町の西半より発足。8街区。南東を公会堂通りを通る。ビル街で、商店が多い。川沿いが中島川公園として整備されており、眼鏡橋がかかる。長崎女子商業高等学校がある。 桜町(さくらまち) 1963年、桜町、内中町、小川町の大半、豊後町の東半、引地町の東半より発足。10街区。長崎市役所がある。その他、官庁や事業所・商店も多い。国道34号と桜町通り(電車通り)との立体交差がある。 大黒町(だいこくまち) 1963年、大黒町、台場町1-4丁目、西坂町・八千代町3丁目の一部より発足。15街区。長崎駅前に商店街が広がる。ビジネスホテルも多い。長崎県交通会館がある。地内の長崎駅前交差点は市内屈指の交通量で、長崎南環状線などのバイパスが開通する以前(2000年頃)の書物では、九州最大とも。 玉園町(たまぞのまち) 1963年、上筑後町、東上町の北半より発足。4街区。住宅街。玉園山の斜面に面して寺院も多い。 筑後町(ちくごまち) 1963年、下筑後町、西上町、の北半、立山町の一部より発足。11街区。商店のほかにマンションも多い。玉園山の斜面に面して寺院も多い。また、駅前という立地から旅館も存在する。 築町(つきまち) 1963年、築町・中島川右岸の大半、本下町より発足。7街区。中央橋がある。町全体に商店が多い。中央橋交差点・バス停があり、交通の要所である。また、中央橋からは鉄橋(くろがねばし、通称てつばし)が浜町との間にかかり、歩行者も多い。ちなみに、鉄橋は国道324号だが、夜間の数時間を除き歩行者専用道路である。 中町(なかまち) 1963年、西中町、恵美須町の北半、西上町の南半より発足。5街区。住宅地。 賑町(にぎわいまち) 1963年、今下町、材木町、築町・中島川右岸の一部、本紺屋町の西半より発足。11街区。南東を公会堂通りを通る。商店が多い。中央公園がある。 万才町(まんざいまち) 1963年、平戸町、大村町、万才町、本博多町、外浦町の北半より発足。8街区。国道34号が縦貫する長崎市屈指のオフィス街で、長崎地方裁判所、長崎地方検察庁、長崎家庭裁判所、長崎県警察本部などの官公庁もある。 新地町(しんちまち) 1964年、新地町、梅ヶ崎町の北半、入江町1-3丁目の南半より発足。13街区。日本三大中華街として有名な長崎新地中華街がある。このほか、長崎バス新地ターミナルや、長崎ランタンフェスティバルの会場として有名な湊公園、長崎みなとメディカルセンター市民病院、ながさき出島道路の出入口がある。 出島町(でじままち) 1964年、羽衣町1-3丁目、出島町、末広町1-3丁目、千馬町1-3丁目、要町、入江町1-3丁目の北半より発足。16街区だが、7-9番は欠番。6番は扇形で有名な出島そのものであり、復元整備事業により6-9番の間の道路が外され6番に統合された。現在は観光地として整備されている。商店やホテルが立地し、長崎出島ワーフ、長崎県美術館、長崎税関がある。 油屋町(あぶらやまち) 1966年、油屋町、八坂町の南半、鍛冶屋町・高平町の一部より発足。6街区。町を縦貫する通りは国道324号に指定されているが、商店街となっており、浜市アーケード同様車の通過が困難なため酷道と言える。浜町アーケードに直結しているため、人通りが多い。 篭町(かごまち) 1966年、本篭町、広馬場町、船大工町の西半より発足。ただし、旧船大工町の区域は2008年に船大工町に還っている。9街区だが、1番は欠番。商店街。旧広馬場町は現在福建通りと呼ばれる。 鍛冶屋町(かじやまち) 1966年、今篭町、鍛冶屋町・萬屋町・榎津町・銀屋町・高平町・八坂町の各一部より発足。10街区。思案橋電停から旧鍛冶屋町を縦断する鍛冶屋町通りは商店街。旧八坂町は静かな裏通りであるが、現在は高層マンションが建っている。旧今篭町は現在崇福寺通りと呼ばれ、マンションが林立する。東部には寺町から引き続き、寺院が並ぶ。 麹屋町(こうじやまち) 1966年、麹屋町の大半、本紙屋町の南半、紺屋町・中島川左岸の東半より発足。5街区。中通り商店街が横断する。商店が多いが、マンションも複数軒みられる。 諏訪町(すわまち) 1966年、諏訪町、新橋町、磨屋町の東半、紺屋町・中島川左岸の西半、西古川町の一部より発足。9街区。古川町・東古川町・銀屋町・麹屋町・八幡町同様、中通り商店街(アルコア中通り)が横断する。それ以外の通りはおおむね住宅街。諏訪小学校がある。 銅座町(どうざまち) 1966年、銅座町、西浜町の南半、築町の中島川左岸より発足。16街区。南北に主要な3本の通りが通過する。一番西は、築町通り。築町電停(現在の新地中華街停留場)を通るためその名がついたが、実は当地は旧築町の西端を少しかすめるだけである。中央は西浜通り、東は銅座町通りで、いずれも商店街。東部は飲食店街である。 浜町(はままち=通称・はまのまち) 1966年、東浜町、西浜町の北半、万屋町の西半、鍛冶屋町の一部より発足。11街区。浜市アーケード・ベルナード観光通りという長崎の2大商店街が通る。詳細は浜町 (長崎市)参照。 船大工町(ふなだいくまち) 1966年、船大工町の東半より発足。その後、2008年、旧町名復活によりもとの町域をほぼ復元した。7街区。飲食店が多い。 古川町(ふるかわまち) 1966年、東古川町、銀屋町、本古川町の東半、西古川町の大半、磨屋町の西半より発足。ただし、2007年の旧町名復活により銀屋町と東古川町が復活したため、その部分が抜け落ち、現在はコの字型の町域である。9街区だが、7番は欠番である。 丸山町(まるやままち) 1966年、丸山町の大半、中小島町・本石灰町の一部より発足。8街区。詳細は丸山 (長崎市)参照。 本石灰町(もとしっくいまち) 1966年、本石灰町、丸山町の一部より発足。6街区。町の中央を思案橋商店街が縦断している。また、思案橋電停から商店街に入りすぐ右折すると、思案橋横丁という飲食店街がある。 八幡町(やはたまち) 1966年、八幡町の全部、本紙屋町の北半、麹屋町の一部より発足。9街区。南北に縦断する通りは、古川町から続く中通り商店街の続きである。それらと直交する横丁を中心に住宅も多い。 万屋町(よろずやまち) 1966年、万屋町の東半、榎津町、本古川町の西半、西古川町の一部より発足。6街区。万屋通り・榎津通り・本古川通り、そして町を横断するベルナード観光通りそれぞれに商店が密集する。 寄合町(よりあいまち) 1966年、旧町の境界を変更せずに住居表示を実施した。3街区。詳細は丸山 (長崎市)参照。 梅香崎町(うめがさきまち) 1973年、残された梅ヶ崎町の南半が住居表示を実施。2街区。事業所が並ぶ。 樺島町(かばしままち) 1973年、樺島町、玉江町1-2丁目より発足。11街区。住宅や、ビル、旅館が並ぶ。 五島町(ごとうまち) 1973年、住居表示を実施した。10街区。区画整理が行われたため、旧来からの町の面影はない。ビル街。 元船町(もとふなまち) 1973年、住居表示を実施した。実施時に5丁目まであった丁目を削除した。17街区。町の東端を通る通りや、バス停・電停名から、大波止とも呼ばれる。ビル街。長崎港のフェリーターミナルや、夢彩都がある。 大浦町・小曽根町・常盤町・浪の平町・東山手町・古河町・松が枝町・南山手町 1973年、住居表示を実施した。詳細は大浦 (長崎市)参照。 伊勢町(いせまち) 1981年、伊勢町の大半、出来大工町の西山川左岸、新大工町の一部より発足。4街区。新大工町とは、国道を挟んで反対側。国道沿いには商店が、伊勢町通り沿いには主に住宅が並ぶ。 新大工町(しんだいくまち) 1981年、新大工町の大半、伊勢町の一部より発足。6街区。南端に国道34号・新長崎街道が通り、発展している。中央の新大工町の本通りは、シーボルト通りの名で商店街となっている。長崎玉屋がある。 銀屋町(ぎんやまち) 2007年、旧町名復活事業として古川町より分離し発足。7街区。住宅と商業施設などが通り沿いに並ぶ。中央をアルコア中通りが横断する。 東古川町(ひがしふるかわまち) 2007年、旧町名復活事業として古川町より分離し発足。4街区。住宅と商業施設などが通り沿いに並ぶ。中央をアルコア中通りが横断する。 今博多町(いまはかたまち) 住居表示未実施。古くからの街並みが残るが、近年、マンションなども建設されている。中央を公会堂通りが横断する。 馬町(うままち) 住居表示未実施。国道沿いの町。新しく建設されたビルと、旧来からの細長いビルが入り混じる。馬町交差点付近から諏訪神社への参道が伸びる。 大井手町(おおいでまち) 住居表示未実施。古くからの街並みが残るが、近年、マンションなども建設されている。中央を公会堂通りが横断する。 桶屋町(おけやまち) 住居表示未実施。古くからの街並みが残るが、近年、マンションなども建設されている。中央を公会堂通りが横断する。桜町通り沿いに長崎警察署がある。 勝山町(かつやままち) 住居表示未実施。国道沿いの町。北半分は大半が桜町小学校の敷地である。その他、国道沿いに近代的なビルが並ぶ。 出来大工町(できだいくまち) 住居表示未実施。公会堂通り沿いに残る旧来からの町は、公会堂通りに垂直に分けられているが、この町のみ公会堂通り沿いである。西山川左岸(通称・桃の木大工町)が伊勢町に編入されたため、右岸のみがそのまま残る。 古町(ふるまち) 住居表示未実施。古くからの街並みが残るが、近年、マンションなども建設されている。中央を公会堂通りが横断する。 八百屋町(やおやまち) 住居表示未実施。一部を上町に編入し、残された町が鍵型に残る。旧来からの街並みである。 炉粕町(ろかすまち) 住居表示未実施。国道から一本入った通り沿いの町。東端の、炉粕通りと直交する諏訪参道沿いに住宅が広がるが、それ以外はビルも多い。日本銀行長崎支店がある。
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