九越フェリー
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九越フェリー株式会社(きゅうえつふぇりー 英:Kyuetsu Ferry Co., Ltd.[5])は、かつて日本に存在した海運会社。
- ^ a b 直江津〜博多に大型F ハヤシマリン・東日本Fの新会社(内航近海海運速報版 1991年12月12日)
- ^ 日本長距離フェリー協会 運航ダイヤ 博多←→直江津(900km/20時間30分)九越フェリー株式会社(Internet Archive)
- ^ a b c d e f g 船のみどころみせどころ 日本海にヨーロピアンスタイルのフェリーが登場 "れいんぼう べる" 船舶整備公団/九越フェリー(海事総合誌Compass 1996年5月号)
- ^ a b 北海道運輸局/東日本フェリー合併を認可。リベラ、来月1日付で吸収 - 日本海事新聞2005年7月21日
- ^ a b c Ferries Passenger and Vehicles Ferry RAINBOW BELL - 日本船舶輸出組合 平成9年度事業報告書(日本財団図書館)
- ^ a b 創業30周年を経て日本最大のフェリー航送内航海運業にのし上がった東日本フェリー株式会社 - はこだて財界1995年9月号(函館財界問題研究所)
- ^ a b タブーの山陰沖(直江津〜博多)に挑戦する東日本Fの計算(内航近海海運1992年2月号)
- ^ a b 来年4月に迫ってきた九越フェリーの成算 - 月刊内航近海海運1995年6月号
- ^ a b 海路 九州と一直線 - 1996年4月10日 北海道新聞朝刊25面
- ^ 出足絶不調の九越フェリー直江津〜博多 消席率は15〜20%(内航近海海運1996年8月号)
- ^ デイリー化後も苦戦続く九越フェリー(内航近海海運1997年6月号)
- ^ a b 2隻を合理化船にリプレース九越フェリー - 内航近海海運2000年8月号
- ^ a b c 九越フェリー 来月1日から 室蘭 博多週3便 - 北海道新聞1998年8月26日夕刊2面
- ^ 東日本フェリー/運営体制見直しで回復傾向 - 日本海事新聞 1998年10月19日
- ^ 夏、紺碧の海に船出 新造船・ニューれいんぼうらぶ - ラメール2001年9・10月号(日本海事広報協会)
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- ^ a b 「東日本フェリー会社更生法申請」『茨城新聞』、2003年6月30日付日刊、A版、1面。
- ^ 東日本フェリー倒産の真相と背景 - 内航近海海運2003年8月号(内航ジャーナル)
- ^ a b 東日本フェリー(株)一般旅客定期航路事業(フェリー事業)の継承について - 東日本フェリー(Internet Archive)
- ^ 弊社運営航路「室蘭⇔直江津⇔博多」航路の運休について - 東日本フェリー
- ^ 沿革 - 商船三井フェリー
- ^ 八戸-室蘭フェリー廃止 大間-函館など維持 - デーリー東北 2007年1月26日(Internet Archive)
- ^ 日本海航路の再開延期について - 東日本フェリー(Internet Archive)
- ^ 東日本フェリー●●グループ紹介●● - Internet Archive
- ^ 本道-九州初の日本海航路*九越フェリー開設へ - 1994年12月8日 北海道新聞朝刊8面
- ^ 本道-九州間の日本海航路実現*来春から*九越フェリー認可で - 1995年4月20日 北海道新聞朝刊4面
- ^ a b 九越フェリーあすから毎日運航 室蘭-博多の所要時間 丸1日も短縮 貨物輸送増に期待 - 北海道新聞1997年3月16日朝刊道央版27面
- ^ 室蘭-直江津-博多 乗り換えなしで快適 長距離フェリー 室蘭港に初便 - 北海道新聞1998年9月3日朝刊1面
- ^ 九越フェリー/博多-直江津航路、週6往復から3往復に減便 - 日本海事新聞 1998年9月7日
- ^ 九越フェリー/22日から本社移転 - 日本海事新聞 1999年2月10日
- ^ a b 九越フェリー、ターミナル移転 - 海事プレス2001年7月26日
- ^ 内航新聞社ニューストピックス 平成15年(2003年)7月7日付け 第1805号 - 内航新聞社
- ^ a b c d e f g h フェリー・旅客船ガイド1999年上期号(日本海事通信社)
- 1 九越フェリーとは
- 2 九越フェリーの概要
- 3 航路
- 4 関連項目
九越フェリー
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1991年に上越 - 博多航路の運航会社として、はあきゆり他3隻を共同保有する長崎県のハヤシマリンカンパニーとの合弁で設立。これまで気象海象の厳しさからフェリー就航がなかった山陰沖の本州-九州間の航路について岩内・室蘭-直江津航路の欠航の少ない安定性を鑑みて就航が可能と判断し、ハヤシマリンの強い後押しと東日本の運航ノウハウや集客集荷力の結果から計画が具体化した。 当初は博多港に寄港する韓国航路の貨物や、ハヤシマリンカンパニーが出資していた上海長崎フェリーとの連絡による中国本土方面からの輸入貨物の受け入れが計画されていた。 社名は九州・上越から一字ずつ選り抜いた。船体のデザインや発券業務などは東日本フェリーと同一であった。 航路開設当初から週3便運航による使い勝手の悪さや貨物需要の少なさや不況の影響で北海道方面からの乗り継ぎ荷物を中心として利用率が平均15〜20%程度と伸び悩み、秋冬の繁忙期でも利用は40〜50%程度にとどまり1997年3月の第2船投入によるデイリー運航移行後も目立った貨物の増加はなく苦戦を強いられる状況となった。1998年には東日本フェリー直江津〜室蘭航路に乗り入れ博多〜直江津〜室蘭直通での週3便運航へと移行、直後には北海道-九州間の直行貨物の増加もあり輸送量減少が15%にとどまり便あたりの消席率が60%増加し改善が見られた。また船舶も2001年には簡素化された「ニューれいんぼうらぶ」型に置きかえられた。 2005年8月に東日本フェリーへ窓口運営を移譲し、九越フェリーの支店(博多・直江津)が東日本フェリーの支店となり、2006年の合併で、事業所もリベラの名称となる。 九越フェリーの航路および船舶は、実話に基づいた2001年の映画「白い船」の舞台として知られた。 沿革 1991年9月21日:会社設立。 1994年12月:直江津 - 博多航路の開設を九州運輸局に申請。 1995年4月19日:直江津 - 博多航路の開設認可。 1996年4月:新造船就航を控え資本金を8億円に増資。 4月9日:第一船「れいんぼうべる」就航、週3便体制で運航。 1997年3月17日:第二船「れいんぼうらぶ」就航、日曜を除く週6便体制で運航。 1998年9月1日:当初の需要見込みを下回ったため「れいんぼうべる」「れいんぼうらぶ」を東日本フェリー室蘭 - 直江津航路に乗り入れて延航、室蘭 - 直江津 - 博多の一貫輸送を週3便体制で開始。 1999年9月22日:本社を福岡市博多区博多駅前から東区箱崎ふ頭の自社ターミナルビルに移転。 2001年7月9日:「れいんぼうらぶ」後継船「ニューれいんぼうらぶ」就航。 8月5日:本社と博多港発着地を箱崎ふ頭から中央ふ頭(現・中央ふ頭クルーズセンター)に移転。その後箱崎埠頭ターミナルビルと敷地は2003年よりスバル福岡納整センターとして使用。 10月5日:「れいんぼうべる」後継船「ニューれいんぼうべる」就航。 2003年6月30日:会社更生法申請。 2005年8月1日:リベラに吸収合併され法人格消滅。
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