ヴィジャヤナガル王国の最盛期とは? わかりやすく解説

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ヴィジャヤナガル王国の最盛期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/03 14:45 UTC 版)

ヴィジャヤナガル王国」の記事における「ヴィジャヤナガル王国の最盛期」の解説

1503年トゥルヴァ・ナラサー・ナーヤカ死亡し息子ヴィーラ・ナラシンハ・ラーヤがその地位継承した1505年サールヴァ朝のインマディ・ナラシンハ・ラーヤから王位奪って即位し、トゥルヴァ朝を創始した。 だが、ヴィーラ・ナラシンハ・ラーヤ治世短く1509年に弟のクリシュナ・デーヴァ・ラーヤが継ぐごとになる。クリシュナ・デーヴァ・ラーヤは、ヴィジャヤナガル王国の最も偉大な君主とされ、ガジャパティ朝ビジャープル王国遠征繰り返し広大な版図獲得する一方で文芸保護し旅行者から国民幸せを願う君主という最大級賛辞送られる名君であったクリシュナ・デーヴァ・ラーヤ治世初め、父トゥルヴァ・ナラサー・ナーヤカの代より徐々に回復傾向にあったヴィジャヤナガル王国領土回復努めた東方ではオリッサガジャパティ朝攻め込みゴーダーヴァリ川河口越えて1512年にはウダヤギリ落とし北東のシンハーチャラムまで平定した。北方は、バフマニー朝分裂してできたムスリム5王国1つビジャープル王国対決して、1520年にはバフマニー朝時代からの係争地ライチュール地方獲得したこのように即位してから1520年までの10年間に目覚しい戦果上げ王国版図拡大され、その領土最大となった当時西海岸にはポルトガル人進出してきていたが、これに対してマラバール海岸への進出黙認するかわりにビジャープル王国からライチュール地方取り戻すための協力と、アラビアからの馬の補給確保していた。クリシュナ・デーヴァ・ラーヤポルトガル積極的に交易行い西アジアからの軍馬輸入確保し、軍の維持努めポルトガルの馬商人パイスによると、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ治世ヴィジャヤナガル王国は13000頭にもおよぶ軍馬輸入し、その大部分ホルムズ島経由していた。 対外貿易成功の要因は、ヴィジャヤナガル王国内にはカリカットコーリコード)やマンガロールなど優れた外港300以上も存在したからであり、これらの外港にはポルトガル人西アジアイラン人のみならずアラビア半島中国明朝)、東南アジア諸国アフリカからも交易目的人々来航しヴィジャヤナガル王国外港インドにおける貿易の中心地として非常ににぎわったクリシュナ・デーヴァ・ラーヤは、ヴィジャヤナガル王国発展にも努め国内では各地都市貯水池、川にはダム堤防をつくり、商工業奨励し国内安定させた。 さらに、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ税収安定をはかるために、15世紀末にサールヴァ朝より成立しつつあった、ヴィジャヤナガル王国領主層であるナーヤカ徴税させる、「ナーヤカ制」を確立しようとした。これはナーヤカ自分領地知行地して改め与え徴税世襲などの特権認めるかわり、忠誠納税などの義務負わせるもので、任地替えもよく行われたまた、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤヴィシュヌ派ヒンドゥー教信仰をもち、その聖地ティルパティのヴェンカテーシュヴァラ寺院はじめとするヒンドゥー寺院手厚く保護したが、彼は宗教に関してはとても寛容であり、国民すべての宗教信仰許した。彼も「ヒンドゥーの王にしてスルターン」を名乗った一人だった。 クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ治世ヴィジャヤナガル王国版図最大となり、国内首都ヴィジャヤナガルをはじめ賑わい王国には平和が広く行き届き大い繁栄し最盛期迎えた。しかし、その晩年には宮廷内紛とそれにつけこんでビジャープル王国軍の侵入があり、ライチュール地方が再び奪われクリシュナ・デーヴァ・ラーヤはそうした状況の中で没した

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