ヴィジャヤナガル王国とは? わかりやすく解説

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ヴィジャヤナガル王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/28 10:04 UTC 版)

ヴィジャヤナガル王国(ヴィジャヤナガルおうこく、英語: Vijayanagar Empireテルグ語: విజయనగర సామ్రాజ్యముVijayanagara Sāmrājyamuカンナダ語: ವಿಜಯನಗರ ಸಾಮ್ರಾಜ್ಯVijayanagara Sāmrājyaタミル語: விஜய நகர சாம்ராஜ்யம்)とは、14世紀初頭から17世紀中頃にいたるまで、カルナータカ州南部およびアーンドラ・プラデーシュ州南部、言い換えれば、トゥンガバドラー川およびクリシュナ川以南からコモリン岬に至る南インドを支配したヒンドゥー王朝1336年 - 1649年)。ヴィジャヤナガル朝(Vijayanagar dynasty)とも呼ばれる。首都はヴィジャヤナガルペヌコンダチャンドラギリヴェールール


  1. ^ ただし、アーラヴィードゥ朝は、ペヌコンダ、チャンドラギリ、ヴェールールに首都をおいたために除く場合もある
  2. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.124
  3. ^ a b c d e 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.149
  4. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、pp.150-151
  5. ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.150
  6. ^ a b c d e f g h 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.151
  7. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.152
  8. ^ a b c d 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.153
  9. ^ a b c d e f g 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.154
  10. ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.155
  11. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.36



ヴィジャヤナガル王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:55 UTC 版)

インドの歴史」の記事における「ヴィジャヤナガル王国」の解説

詳細は「ヴィジャヤナガル朝」を参照 その後一時北インドデリー・スルターン朝勢力南下し南インド王朝次々と滅ぼされたが、1336年ハリハラブッカ兄弟ヴィジャヤナガルハンピ)に都にトゥグルク朝から独立した。 これ以降14世紀前半から17世紀半ばにかけて、サンガマ朝(1336年 - 1486年)、サールヴァ朝(1486年 - 1505年)、トゥルヴァ朝(1505年 - 1569年)、アーラヴィードゥ朝(1569年 - 1649年)と4つヒンドゥー王朝繁栄し、これを総称してヴィジャヤナガル王国と呼んでいる。ここでは、北インドとは対照的にヒンドゥー文化隆盛爛熟がみられた。ハンピの都市遺跡などが当時繁栄ぶりを今日伝えている。 ヴィジャヤナガル王国はトゥルヴァ朝のクリシュナ・デーヴァ・ラーヤ治世最盛期迎えたが、その死後1565年ターリコータの戦いムスリム5王国敗れ衰退の道へと向かった。 しかし、アーラヴィードゥ朝のヴェンカタ2世同国最後名君であり、外敵戦い、国の領土勢力回復尽力したが、1614年彼の死後王国瓦解した

※この「ヴィジャヤナガル王国」の解説は、「インドの歴史」の解説の一部です。
「ヴィジャヤナガル王国」を含む「インドの歴史」の記事については、「インドの歴史」の概要を参照ください。

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