ヴィジャヤナガル王国
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ヴィジャヤナガル王国(ヴィジャヤナガルおうこく、英語: Vijayanagar Empire、テルグ語: విజయనగర సామ్రాజ్యము、Vijayanagara Sāmrājyamu、カンナダ語: ವಿಜಯನಗರ ಸಾಮ್ರಾಜ್ಯ、Vijayanagara Sāmrājya、タミル語: விஜய நகர சாம்ராஜ்யம்)とは、14世紀初頭から17世紀中頃にいたるまで、カルナータカ州南部およびアーンドラ・プラデーシュ州南部、言い換えれば、トゥンガバドラー川およびクリシュナ川以南からコモリン岬に至る南インドを支配したヒンドゥー王朝(1336年 - 1649年)。ヴィジャヤナガル朝(Vijayanagar dynasty)とも呼ばれる。首都はヴィジャヤナガル、ペヌコンダ、チャンドラギリ、ヴェールール。
- ^ ただし、アーラヴィードゥ朝は、ペヌコンダ、チャンドラギリ、ヴェールールに首都をおいたために除く場合もある
- ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.124
- ^ a b c d e 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.149
- ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、pp.150-151
- ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.150
- ^ a b c d e f g h 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.151
- ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.152
- ^ a b c d 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.153
- ^ a b c d e f g 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.154
- ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.155
- ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.36
ヴィジャヤナガル王国
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「インドの歴史」の記事における「ヴィジャヤナガル王国」の解説
詳細は「ヴィジャヤナガル朝」を参照 その後、一時、北インドのデリー・スルターン朝の勢力が南下し、南インドの王朝は次々と滅ぼされたが、1336年ハリハラとブッカの兄弟がヴィジャヤナガル(ハンピ)に都にトゥグルク朝から独立した。 これ以降、14世紀前半から17世紀半ばにかけて、サンガマ朝(1336年 - 1486年)、サールヴァ朝(1486年 - 1505年)、トゥルヴァ朝(1505年 - 1569年)、アーラヴィードゥ朝(1569年 - 1649年)と4つのヒンドゥー王朝が繁栄し、これを総称してヴィジャヤナガル王国と呼んでいる。ここでは、北インドとは対照的にヒンドゥー文化の隆盛と爛熟がみられた。ハンピの都市遺跡などが当時の繁栄ぶりを今日に伝えている。 ヴィジャヤナガル王国はトゥルヴァ朝のクリシュナ・デーヴァ・ラーヤの治世に最盛期を迎えたが、その死後、1565年ターリコータの戦いでムスリム5王国に敗れ、衰退の道へと向かった。 しかし、アーラヴィードゥ朝のヴェンカタ2世は同国最後の名君であり、外敵と戦い、国の領土と勢力回復に尽力したが、1614年彼の死後に王国は瓦解した。
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