フィリピン失陥とは? わかりやすく解説

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フィリピン失陥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)

太平洋戦争」の記事における「フィリピン失陥」の解説

ルソン島の戦い」も参照マニラの戦い (1945年)」も参照 1945年1月4日マッカーサー800の上艦隊支援艦隊を率いルソン島リンガエン湾目指し進撃開始したが、日本軍残存特攻機迎撃し、護衛空母オマニー・ベイ撃沈戦艦ニューメキシコにも特攻機命中してルソン島上陸作戦観戦するためニューメキシコ乗艦していたイギリス軍ハーバード・ラムズデン(英語版中将戦死するなど(ラムズデンは第二次世界大戦でのイギリス軍高階級の戦死者)、連合軍ルソン島上陸前大損害を被ったルソン島上陸したアメリカ軍に対してレイテ戦力消耗した日本軍平地での決戦をさけて、山岳地帯での遅滞戦術をとることとした。司令官山下首都マニラ戦闘巻き込まないために防衛諦め守備隊にも撤退命令出したが、陸海軍作戦不統一でそれは履行されず、海軍陸戦隊中心とする日本軍14,000名がマニラ立て籠もった。マニラ奪還に焦るマッカーサーは、市内への重砲による砲撃許可し激し市街戦の上日本軍守備隊全滅し住宅地80%、工場75%、商業施設はほぼ全て破壊された(マニラの戦い (1945年))。戦闘巻き込まれマニラ市民犠牲10万人にも上ったが、その中には日本兵による残虐行為の他、アメリカ軍支援したユサッフェ・ゲリラフクバラハップ犠牲者含まれていた。武装ゲリラ跳梁に悩む日本軍であったが、ゲリラとその一般市民区別がつかず、老若男女構わず殺害したマニラ大虐殺)。 日本軍その後圧倒的な火力アメリカ軍と、数十万人にも膨れ上がったフィリピン・ゲリラ圧倒されながら絶望的な戦い続けルソン島山中孤立することとなり、将兵や軍と一緒に山中逃げ込んだ一般市民大量餓死者・病死者出した一方でアメリカ軍も、第二次世界大戦戦いの中では最大級人的損害となる、戦闘での死傷79,104名、戦病戦闘外での負傷93,422名という大きな損失被った上に、何よりもマッカーサーが軍の一部認定し多大な武器物資援助して一緒に日本軍戦ったフィリピン・ゲリラや、ゲリラ支援していたフィリピン国民損失甚大であった。しかし、「アメリカ軍17師団日本軍23師団打ち破り日本軍人的損失比較する我が方損害少なかった」と回顧録自賛するマッカーサーには、フィリピン人民の被った損失は頭になかった。 6月28日マッカーサールソン島での戦闘の終結宣言行ない、「アメリカ史上もっとも激しく血なまぐさい戦い一つ中略)約103,475km2の面積800万人人口擁するルソン島全域はついに解放された」と振り返ったが、結局はその後日本軍残存部隊はルソン島山岳地帯抵抗続けアメリカ陸軍第6軍英語版)の3個師団終戦までルソン島足止めされることとなったその後ミンダナオ島の戦いビサヤ諸島の戦いなどでも敗北し南方要衝であるフィリピン全土失った日本は、南方資源地帯との海路断たれて、戦争継続能力無くなるのも時間の問題となった

※この「フィリピン失陥」の解説は、「太平洋戦争」の解説の一部です。
「フィリピン失陥」を含む「太平洋戦争」の記事については、「太平洋戦争」の概要を参照ください。

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