フィクションや芸術における引用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 00:48 UTC 版)
「フランクリン遠征」の記事における「フィクションや芸術における引用」の解説
1850年代から現代まで、フランクリンの失われた遠征隊は多くの文学作品にヒントを与えてきた。中でも最初のものはウィルキー・コリンズが書いた戯曲『The Frozen Deep』であり、チャールズ・ディケンズが補助し、劇制作も行った。この劇は1857年初期にタビストック・ハウスで私的な観衆を前に興行され、さらにロイヤル・ギャラリー・オブ・イラストレーション(ヴィクトリア女王のための御前上演を含む)やマンチェスター・トレードユニオン・ホールでの一般公演も行われた。1859年にフランクリンの死の知らせが、アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーンのものなど、哀歌をうまれさせた。 フランクリンの最後の遠征に関するフィクションでの扱いは、ジュール・ヴェルヌの『ハテラス船長の冒険』(1866年)に始まり、小説の英雄がフランクリンの足跡を辿り、北極には巨大な火山があることを発見する。ドイツの小説家ステン・ナドルニーの『遅さの発見』(1983年、英訳1987年)はフランクリンの生涯全体を扱い、最後の遠征については簡単に触れるだけである。その他近年のフランクリンを扱ったものとしては、モルデカイ・リッチラーの『Solomon Gursky Was Here』、ウィリアム・T・ヴォルマンの『ザ・ライフルズ』(1994年)、ジョン・ウィルソンの『North With Franklin: The Journals of James Fitzjames』(1999年)、ダン・シモンズの『ザ・テラー 極北の恐怖』(2007年)があり、特に最後の『ザ・テラー 極北の恐怖』は2013年2月にAMCでテレビ映画化されると発表された。この遠征はホラー・ロールプレーイング・ゲーム『The Walker in the Wastes』の主題にもなった。最近のクライブ・カッスラーによる2008年の小説『北極海レアメタルを死守せよ』では、話の中心要素としてフランクリン遠征隊の試練を取り込み、リチャード・フラナガンの小説『Wanting』(2009年)は、フランクリンのタスマニアと北極圏双方の偉業を扱っている。2013年のホワイト・パッセージは、タイムトラベルの概念と失われた遠征隊のもう一つの運命の結果をいれたSF小説のリストを仕上げている。2012年1月12日、BBCのラジオ4ではフランクリン隊に基づく『エレバス』と題するラジオ劇を放送した。 フランクリンの最後の遠征は多くの音楽にもヒントを与えた。その最初のものは『フランクリン夫人の嘆き』というバラード(『ロード・フランクリン』とも呼ばれた)であり、1850年代に始まり、その後多くのアーティストが録音した。例えば、マーティン・カーシー、ペンタングル、シネイド・オコナー、パールフィッシャーズ、ジョン・ウォルシュなどである。他にフランクリンがヒントになった歌としては、フェアポート・コンヴェンションの『I'm Already There』、ジェームス・テイラーの『Frozen Man』(ビーティのジョン・トーリントンを写した写真に基づく)がある。 フランクリン遠征隊のカナダ文学に与えた影響は特に重大なものだった。当代のフランクリン関連バラードで良く知られたものにオンタリオ州のフォーク歌手スタン・ロジャーズの『北西航路』(1981年)があり、非公式だがカナダの国歌と言われている。カナダの著名作家マーガレット・アトウッドは、フランクリンの遠征をカナダのある種の国家的神話として語り、「あらゆる文化で多くの話が語られているが、ほんの少しのみが語られまた語られ、これらの話は試験に耐えることになる。カナダの文学でそのような話の一つがフランクリン遠征である」と述べている。 その他最近のカナダ詩人による扱いではグウェンドリン・マッキーウェンによる詩劇『テラーとエレバス』があり、1960年代にCBCのラジオで放送された。またデイビッド・ソルウェイの詩『フランクリンの航路』(2003年)もある。ドミニク・フォーティエのフランス語で書かれた小説『Du bon usage des étoiles』(星のうまい使い方)は、様々な視点とジャンルからフランクリン遠征を創造的に検討しており、カナダの幾つかの文学賞で候補にもなった。シェイラ・フィッシュマンによる英訳本『On the Proper Use of Stars』も、2009年にフランス語から英語への翻訳作品でガバナー・ジェネラルの文学賞候補になった。 絵画の世界でも、フランクリン遠征隊の失踪が、アメリカ合衆国でもイギリスでも多くの絵画に刺激を与えた。1861年、フレデリック・エドウィン・チャーチが『氷山』と題する大きな油絵を描き上げた。その年後半、展示のためにイングランドに持っていく前に、壊れた船のマストのイメージを書き加え、フランクリンへの沈黙の弔辞にした。1864年、エドウィン・ランドシーアの『人は提案し、神は処置する』は毎年のロイヤルアカデミー展示会でひと騒ぎ起こした。2匹のホッキョクグマを描いており、1匹はボロボロになった船の旗を噛んでおり、もう1匹は人の胸郭を齧っている。当時は悪趣味とも見られたが、遠征隊の末期について強烈なイメージを抱かされるものとして留まって来た。この展示は、多くの人気ある版画やイラスト、さらに多くのパノラマ、ジオラマ、マジック・ランタンショーにもヒントを与えてきた。
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