インドネシア民族主義運動の展開とは? わかりやすく解説

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インドネシア民族主義運動の展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 10:02 UTC 版)

インドネシアの歴史」の記事における「インドネシア民族主義運動の展開」の解説

詳細は「インドネシア民族主義運動の展開」および「en:Indonesian National Awakening」を参照 20世紀初頭にオランダ従来植民地政策転換し現地住民福祉向上と、本国から植民地政府権限委譲をすすめる方針をとった。前時代純益政策によって、植民地からオランダ本国莫大な富がもたらされ一方で過酷な搾取と「愚民化政策」のもとで、現地住民による初等教育機会産業復興制限されその結果植民地現地住民窮乏化すすんだことを反省しこれまでより多く恩恵現地住民もたらすことで、植民地における経済の復興目指すという意図始められたのが「倫理政策」と総称される一連の施策である。 これによって、現地住民には初等教育機会あたえられまた、オランダ的な一部住民エリートの子弟には、オランダ語での専門教育行政学経済学医学など)の機会あたえられた。彼らの多くは、植民地政府末端を担う下層行政官や、現地住民福祉向上を担う医師となってオランダ人の下で植民地統治運営一翼担った。しかし、これらの一部の親オランダ的なエリートを除く現地住民は、その後初等教育上のものを受ける機会与えられなかった。 そのようにしてオランダ語教育され東インド創設され大学留学許されオランダ本国大学学んだ、親オランダ的な一部学生たちのなかから、民族独立志す者たちがあらわれた。その最初期には、ジャワ医学校で学ぶ学生たちを中心に1908年結成されブディ・ウトモジャワ語で「至高の徳」を意味する)のように、教育通じてジャワ人社会的地位を向上させようという、穏健な活動はじめられた。また宗主国オランダでも、東インド出身学生たちが東インド協会 (Indische Vereniging) を結成し出身地方の超えた東インド民族的一体感目覚めていった。 1911年結成されサレカット・イスラームイスラム同盟)は、当初中国革命進展によって東インドでの商業活動にわかに活発化させた華僑商人対抗してジャワバティック商人結成したものであったが、組織主導権商人層からオランダ語教育受けた知識人層に移ると、ジャワ島外にまで支部結成して東インド全体広がる最初大衆組織となったサレカット・イスラーム指導者チョクロアミノト(英語版)は各地集会催し熱気こもった演説カリスマ性熱狂的な人気博した第一次世界大戦経てサレカット・イスラーム会員数200万人をこえ、独立社会主義掲げようになったこのように組織の性格変わった要因として、ロシア革命成功挙げられよう。1920年にはアジア初の共産党としてインドネシア共産党前身1914年スマラン結成され東インド社会民主主義同盟)が成立しコミンテルン加盟したインドネシア共産党原住民党員サレカット・イスラーム加入させ、その組織内部で共産党影響力強めていくという方針立てたその結果サレカット・イスラーム内の主流派共産派の対立激化し民族主義運動潮流分裂し大衆運動離れ招いたサレカット・イスラームから排除されインドネシア共産党は、その地方支部1926年から1927年にかけて散発的に起こした武装蜂起によって、植民地政府による弾圧招いた。党の指導者海外へ逃亡するか、東インド潜伏するなどしたため以後民族主義運動は、スカルノらが1927年結成したインドネシア国民党など、世俗主義掲げ民族主義団体によって担われていくことになった戦前インドネシア民族主義運動頂点となったのは、1928年10月27日開催されインドネシア青年会議における「青年の誓い採択だった。 われわれインドネシア青年男女は、インドネシア国というただ一つ祖国をもつことを確認します われわれインドネシア青年男女は、インドネシア民族というただ一つ民族であることを確認します われわれインドネシア青年男女は、インドネシア語という統一言語使用します ここにいたって独立求め人々は、オランダ領東インド国名として、「インドネシア」の名を選び取り、この地域に住むさまざまな民族インドネシア人として統一し独立達成する、という決意内外示したのである

※この「インドネシア民族主義運動の展開」の解説は、「インドネシアの歴史」の解説の一部です。
「インドネシア民族主義運動の展開」を含む「インドネシアの歴史」の記事については、「インドネシアの歴史」の概要を参照ください。

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