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インドネシア独立戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/30 09:44 UTC 版)

インドネシア独立戦争(インドネシアどくりつせんそう、1945年 - 1949年)は、日本第二次世界大戦連合国へ降伏した後の旧オランダ領東インドで、独立を宣言したインドネシア共和国と、これを認めず再植民地化に乗り出したオランダとの間で発生した戦争独立戦争)。
  1. ^ a b 畠山清行、p675-676頁。各国の独立運動支援のために武器を持ったまま義勇軍に加わる者も少なくなかった。インドネシアの場合、その数は通常三千人といわれ、千人がオランダ軍との戦いで独立義勇軍の兵士として戦死、千人がインドネシア独立後に日本へ帰国、千人がインドネシアに帰化したといわれる。帰化組は国の英雄とされ、死亡後は国立英雄墓地に埋葬されている。
  2. ^ このように比較的短期間のうちに戦闘が終わった要因として、(1)オランダ本国がすでにドイツ軍に占領されていたこと、(2)蘭印軍自体が領土防衛ではなく国内治安のための軍隊であったこと、(3)開戦前からの日本軍による情報操作が功を奏し、現地住民の間に日本軍を歓迎するムードを作り出すことに成功していたこと、の3点が挙げられる(インドネシア国立文書館編、1996年、35頁)。
  3. ^ [「黎明の世紀―大東亜会議とその主役たち」深田祐介文藝春秋刊 1991年]
  4. ^ 日本軍政期、軍政当局によって皇紀を使用することが規定されていたため、独立宣言文にみられる「2605年8月17日」の年号も皇紀が用いられている。信夫、1988年、258頁、倉沢、1991年、755頁。
  5. ^ 今日のインドネシア国軍の「建軍記念日」はこの10月5日とされている。
  6. ^ 安中、1969年、113-115頁
  7. ^ 1945年9月2日から約半年の間に、日本軍はインドネシア側との衝突で627人の死者を出した。そのなかでも1945年10月、中部ジャワ州のスマランで発生した日本軍部隊とインドネシア人独立派との衝突(スマラン事件)では日本側に187人、インドネシア側に2000人近い犠牲者が出た(後藤乾一「戦後日本・インドネシア関係史研究序説」、『社会科学討究』40巻2号、1994年12月、358-359頁)。
  8. ^ 増田、1971年、205-206頁。
  9. ^ 元蘭印軍出身で後にインドネシア国軍の高官となるナスティオンの著作は、小銃2万6000、自動小銃1300、機関銃600、手榴弾9500、速射砲40、榴弾砲16などの数字を挙げている。
  10. ^ 約2000人の元日本軍兵は祖国に帰らず、そのまま除隊(この時点で日本軍籍は消滅)、残留してインドネシア独立軍に参加し、降伏時所持していた兵器物資を横流しした者、軍政資材をそのまま利用し独立運動の広報・宣伝に当たった者もいた(『アジアに生きる大東亜戦争』ASEANセンター編/『アジア独立への道』田中正明など)。ある者はインドネシア人と結婚して家庭を築き、またある者はイスラームに改宗するなどして現地社会に溶け込み、インドネシア独立戦争の終了後も日本に帰還する者は少なかった。なお、陸軍第16軍の作戦参謀を務めた宮元静雄によると、帰隊者・死亡者をのぞく現地逃亡残留兵は総計277名で、そのうち166名はジャワのバンドン地区の将兵であった(宮元、1973年、375頁)。
  11. ^ 増田、1971年、200頁。
  12. ^ 首藤、1993年、56頁脚注6
  13. ^ 増田、1971年、201頁、首藤、1993年、38頁。
  14. ^ 増田、同、205-208頁。
  15. ^ 首藤、同、40頁および56頁脚注8。
  16. ^ 首藤、同、37頁および54頁脚注2。
  17. ^ 増田、同、222-224頁、首藤、同、67頁。
  18. ^ 増田、同、224頁、首藤、同、76頁。
  19. ^ Kahin,1952,pp.230-232.
  20. ^ 増田、同、233頁、首藤、同、109頁。
  21. ^ このとき共和国軍部隊を率いたのが後に第2代大統領となるスハルト中佐であった。
  22. ^ 首藤、同、118頁
  23. ^ 首藤、1993年、120頁および126頁脚注23。
  24. ^ インドネシア連邦の傀儡国家群を参照。
  25. ^ このインドネシアからの日本人引揚げで婦女子854名が全員無事に帰国したことについて、永井は満州樺太からの日本人引揚げ時の悲劇との対比で「特筆に値する」としている。永井、1986年、34頁。
  26. ^ 独立戦争に身を投じたアブドルラフマン=市来龍夫(歩兵操典をインドネシア語に翻訳した)とアレフ=吉住留五郎の墓が、東京タワーそばの青松寺にある。なお、市来龍夫については、後藤、1977年、を参照。
  27. ^ インドネシアの独立宣言後、初期のインドネシア国軍の将校団を構成したのは、兵補郷土防衛義勇軍(略称「ペタ」)といった、日本軍政期に結成された対日協力軍の元幹部たちであった(倉沢、1992年、第7章、を参照)。また、オランダ領東インドを占領した日本軍は兵補制度を採用して、これを日本軍の中に組み込んだ。こうした兵補の多くは、旧蘭印軍の現地人兵士から募集されたが、農村の住民から採用された者も多かった。なお、これらの組織で日本軍の軍事教育を受けたインドネシア人の回想については、インドネシア国立文書館編著、1996年、第4章、を参照。
  28. ^ インドネシア独立戦争に参加した日本人兵士の回想の一例として、バリ島に駐在した日本軍兵士、平良定三(インドネシア名ニヨマン・ブレレン)について、藤崎康夫「インドネシア独立戦争を戦った日本人兵士」、『宝石』1995年9月号、を参照。
  29. ^ 独立戦争終結後しばらくして、現地逃亡元日本兵に日本への帰国の機会が与えられたが、帰国せずにそのまま残留した者も多かった。日本政府からは「脱走兵」と見なされたため、軍人恩給は支給されず、その存在が日本国内に伝えられることも少なかった。1970年代末になって軍人恩給に代わる一時金が支払われた。倉沢愛子 『二十年目のインドネシア 日本とアジアの関係を考える』、草思社1994年、162頁。
  30. ^ 倉沢、同上書、162頁。
  31. ^ 以下の研究史の整理は、倉沢愛子「シンポジウム『東南アジア史の中の日本占領 -評価と位置づけ- 』」、『アジア経済』37巻7・8号、1996年7・8月号、191-193頁、を参照。
  32. ^ 一例として、W.H.Elsbree, Japan's Role in Southeast Asian Nationalist Movements 1940-1945, New York, Russel and Russel, 1953.
  33. ^ 一例として、Anthony Reid, The Indonesian National Revolution 1945-1950, Hawthorn, Australia, Longman, 1974.
  34. ^ 一例として、1986年9月に開催された日本国際政治学会の国際シンポジウムにおいて、谷川栄彦(九州大学)の報告に対して、韓国、東南アジア諸国参加者から批判の声が上がった。谷川の報告は、日本による戦争と占領は、少なくとも現地の民族主義運動を「加速化」させる「触媒」の役割を果たしたという、いわゆる触媒説を論じるものであった(信夫、1988年、序、を参照)。その谷川報告は同「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」[1](九州大学法学部紀要『法政研究』53巻3号、1987年3月)として活字論文化されている。また、日本軍政下での過酷な生活についての庶民の回想は、インドネシア国立文書館編著、1996年、を参照。
  35. ^ 邦訳は、押川典昭訳、『ゲリラの家族』<プラムディヤ選集1>、めこん、1983年刊、ISBN 4839600163、がある。邦訳書のテキストは、Pramoedya Ananta Toer, Keluarga Gerilya, Pembangunan Djakarta, 1955.







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