『水源』と積極的政治活動とは? わかりやすく解説

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『水源』と積極的政治活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 15:02 UTC 版)

アイン・ランド」の記事における「『水源』と積極的政治活動」の解説

1940年代ランド政治活動積極的に関与するようになった1940年大統領選挙ランドは、夫と共に共和党ウェンデル・L・ウィルキー (Wendell Lewis Willkie) 陣営ボランティア専従スタッフとして活動した。この活動過程で、ランド初め公衆前に演説する経験をした。ニューヨーク市では、ウィルキー支持ニュース映画見たばかりの聴衆から、時に敵意むき出しにした質問を受けることもあった。ランドはこうした敵意ある質問にも当意即妙に答えた。これはランドにとって非常に楽しい経験だった。またこの活動により、自由市場資本主義支持する知識人達との交流生まれたジャーナリストのヘンリー・ハズリット (Henry Hazlitt) 夫妻友人になり、ハズリット紹介オーストリア学派経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス (Ludwig von Mises) とも知り合ったランドと彼らの間には思想的相違があったが、ランドハズリットミーゼス著作生涯にわたり支持し、彼らもランドへの賞賛表明したミーゼスランドのことを「the most courageous man in Americaアメリカで最も勇敢な人)」と述べたことがある。この賛辞ランドを特に喜ばせたミーゼスランドを「womanではなくman」と呼んだからである。ランドリバタリアン作家イザベル・パターソンとも友情を育んだ。二人幾度となく会った博識なパターソンに、ランド夜遅くまでアメリカの歴史政治について尋ねたパターソン唯一のノンフィクション『The God of the Machine』には、ランド与えたアイデア反映されている。 執筆7年費やし1943年出版されロマンス思想小説水源』(The Fountainhead)は、作家アイン・ランド初の大ヒットとなった。この小説は、妥協しない若き建築家ハワード・ロークと、「second-hander(セコハン人間受け売り人間)」との対立中心に描かれている。セコハン人間とは、他人自己より上位に置き、他人通じて生きようとする人々である。『水源』はボブスメリル社 (Bobbs-Merrill Company) が出版引き受け前に12出版社から出版拒否されている。ボブスメリル社が『水源』の出版引き受け決めたのは、同社編集者アーチボルド・オグデン (Archibald Ogden) が、『水源』を出版しなければ会社辞める、と雇い主脅したからである。『水源』の仕上げかかっている間、疲労闘うため、ランドは「ベンゼドリン」という商品名のアンフェタミン(中枢神経刺激薬)の処方受けていた。この原稿締め切り間に合わせるための長時間執筆役立ったが、ランド疲弊し切り、原稿完成時医師から2週間安静命じられたほどであった。このを約30年にわたり使用し続けたことが、後に彼女と付き合った人々から、気分移り変わり激しいと時に評される一因だった可能性がある。 『水源』は最終的に世界的成功収めランド名声経済的安寧もたらした1943年ランドはこの小説映画化権利ワーナー・ブラザース社に売却し、同映画脚本を書くためハリウッド戻った。『水源映画版邦題摩天楼」)の脚本完成させると、ランド映画プロデューサーハル・ウォリス (Hal Wallis) に、脚本家スクリプトドクターとして雇われた。ウォリスの下でランド脚本書いた映画には、アカデミー賞ノミネートされた「ラブ・レター」(Love Letters1945年)や「大空駈ける恋」(You Came Along、1945年)などがある。この間ランドには他のプロジェクト関わる余裕ができた。こうしたプロジェクト一つに、彼女の思想ノンフィクションの形で論じた個人主義道徳的基礎』(The Moral Basis of Individualism)の執筆計画があった。計画された本は完成しなかったが、この本の内容要約した明日へ唯一つの道』(The Only Path to Tomorrow)というエッセイが、「リーダーズ・ダイジェスト」(Reader's Digest)誌の1944年1月号に発表された。 ハリウッドで働く間、ランドは、自由市場擁護し共産主義反対する政治活動へ関与深めたハリウッド反共産主義グループアメリカの理想を守るための映画同盟」 (Motion Picture Alliance for the Preservation of American Ideals) と関係を持つようになり、このグループ立場からの記事複数書いた反共産主義アメリカ作家協会 (the anti-Communist American Writers Association) の一員にもなった。イザベル・パターソンランド宅を訪れカリフォルニアに住むランド盟友たちに会った時、パターソンは、ランド大切な盟友たちに向かって無礼な(とランド見なす発言をした。パターソンランド不和はこの発言決定的となった1947年第二次赤狩りの間、ランドアメリカ合衆国議会下院非米活動委員会 (Un-American Activities Committee) で「友好的証人」(friendly witness) として証言台に立ったランドは、ソ連での彼女の個人的経験と、映画Song of Russia」(1944年)で描かれソ連像がかけ離れていることを証言したランドはこの映画が、ソ連での生活を実際よりもはるかに良好かつ幸福に描くことで、ソ連状況著しく歪めていると主張したランドまた、当時評判だった映画我等の生涯の最良の年」(The Best Years of Our Lives1946年)がビジネス界をネガティブ描いている(と彼女が解釈した)点の批判希望したが、この点についての証言許可されなかった。聴聞の後、調査有効性をどう思うか尋ねられランドは、このプロセスは「無駄骨」(futile) だったと答えている。 『水源』(The Fountainhead)の映画版邦題摩天楼」)は、数回遅延の後、1949年公開された。ランド自身による脚本をほぼそのまま使用した映画だったが、ランドはこの映画を「初めから終わりまで嫌い」で、編集演技などさまざまな要素への不満を述べた

※この「『水源』と積極的政治活動」の解説は、「アイン・ランド」の解説の一部です。
「『水源』と積極的政治活動」を含む「アイン・ランド」の記事については、「アイン・ランド」の概要を参照ください。

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