LGYankees LGYankeesの概要

LGYankees

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/31 14:17 UTC 版)

LGYankees
別名 LGY(旧称)
出身地 日本宮城県 仙台市
ジャンル J-POP
ヒップホップ
活動期間 2000年 -
レーベル ハドソン・ミュージックエンタテインメント
2008年 - 2011年
Venus-B
(2011年 - 2014年
CROWN VenuS
(2014年 - )
事務所 ノーダウトトラックス
公式サイト 所属事務所による公式サイト
メンバー HIRO(MC
旧メンバー RYO(MC)
DJ No.2(DJ

メンバー

現メンバー

元メンバー

来歴

2000年、ダンサーだった板前のHIROと自衛官のRYOがダンスを通して出会いLGY(エルジーワイ)を結成。結成後は長らくクラブシーンを中心とした活動となる。

2006年1月31日、1st Album『JOINTED 2 HOMIES』をリリース。これがロングヒットを続け、2006年のオリコンインディーズアルバムチャート・ヒップホップ部門では第2位[2](1位はDef Tech)、更に翌年もヒップホップ部門第2位を記録(1位は九州男、インディーズ総合では14位)。

2007年、LGYからLGYankeesに名前を改名する。同年、HIROが音楽レーベル株式会社ノーダウトトラックスを設立し、以後事務所の社長も務めている。

2008年4月、結成翌年からサポートとしてDJ・楽曲提供をしていたDJ No.2がメンバーに正式加入し、5月9日、シングル『Dear Mama feat.小田和正/Eternal』でメジャーデビュー。9月17日に発売したアルバム『NO DOUBT!!! -NO LIMIT-』でオリコン初登場8位を記録し、シングル・アルバム含め初のトップ10入りを果たす。

2009年12月8日にブログにて、結成当時からのメンバーであるRYOが脱退するという報告がされた[3]。RYOの脱退により、これまでの2MCとしての体制が崩れることとなる。初の全国ツアー目前での脱退だったがツアーは延期・中止せず、RYOを除いたメンバーで予定通り行われた。脱退発表から数日後、DJ No.2がブログにてRYOの脱退についての心境を述べている[4]

2011年9月20日、同じ所属事務所のNoa,SO-TA,GIO,PURPLE REVELと共に、これまで所属していたハドソン・ミュージックエンタテインメントからキングレコードのダンスミュージックレーベルであるVenus-Bへ移籍することが発表された。

2013年11月27日、活動13年間の集大成であるベストアルバム『YAPPARI LGYankees BEST?』を発売。ベストアルバム発売に関連して漫画家の東條仁が作画したメンバーHIROの半生を描いた作品「LGYankees HIRO ストーリー」がWEBコミックとして無料で公開された[5]

2014年10月31日、DJ No.2がLGYankeesを脱退した[6]。同年、所属レコード会社をVenus-BからCROWN VenuSへ移籍した。

エピソード

  • メンバーのHIROは子供の頃に柔道をしていた。中学生の時に母親から貰ったヒップホップのライブのチケットがきっかけでヒップホップを聴くようになった[7]
  • 2006年7月恵比寿リキッドルームで行われたT.I.の日本公演で、日本代表として前座を務めた。
  • 2008年6月14日に起きた岩手・宮城内陸地震の復興支援として募金活動やチャリティーライブを行った。2ndアルバム『NO DOUBT!!! -NO LIMIT-』の発売日には「Dear Mama feat.小田和正」のオーケストラバージョンの着うた着うたフルを配信し、その売上の一部を被災地である宮城県栗原市に寄付した。
  • 結成から長らくLGYとして活動していたため、現在もLGYという愛称が使われることもある。LGYという名称は、ラグジュアリーから成り立っている[8]
  • 音源のリリースはないが、LGY時代に西海岸CREW(2007年解散)を結成し、その先頭を仕切っていた。
  • LGY結成当時は、アメリカの西海岸サウンド(通称ウェッサイ)やギャングスタスタイルとしてやっていたが、有名になるにつれスタイルは変わり、今では当時の仲間達からは酷く毛嫌いされている(HIPHOP用語でいうセルアウトをしたから)。
    • 2008年発売のS.T.Mのアルバム『RESTART』の「TARGET」という曲では、総勢7人ものラッパーが全体にわたりLGYをDISしており、冒頭の会話ではNGYと言われている。この曲には同年に先立ってLGYankees&GIPPER名義で一緒にCDを発売したNORAのGIPPERも参加しており、CD作成時LGY側のGIPPERに対する待遇がひどかったことについて強烈なDISをしている。
    • 以前のウェッサイ寄りな音楽からポップ要素を取り入れた音楽へと変わった背景についてHIROは、「日本のリスナーは、メロディアスな曲を好みます。自分はアメリカのヒップホップの劣化コピーじゃなく、日本人のための音楽をやりたい。そのための方法論の一つとして、Jポップの口当たりを取り入れたスタイルを考えました。」とコメントしている[9]

注釈

  1. ^ LGY名義を含む。

出典

  1. ^ LGY RE-VENGE”. LGY. 2020年6月1日閲覧。
  2. ^ “仙台のヒップホップユニットが小田和正さんとコラボレーション”. 仙台経済新聞. (2008年4月11日). https://sendai.keizai.biz/amp/headline.php?id=200 2021年4月14日閲覧。 
  3. ^ 詳しい理由は不明だが、今後は音楽活動からは離れるとのこと。
  4. ^ RYO脱退について
  5. ^ “LGYankees、さとう宗幸コラボで上空4000mから落下”. 音楽ナタリー (株式会社ナターシャ). (2013年11月26日). https://amp.natalie.mu/music/news/104377 2021年10月21日閲覧。 
  6. ^ [1] 2014年10月31日 DJ No.2のTwitter
  7. ^ WEBコミック「LGYankees HIRO ストーリー」
  8. ^ 本来、ラグジュアリーのスペルはLuxuryであるが、HIROがLuguryとスペルを間違えて覚えており、LGYはそのLuguryから来ている。長らく公表はしていなかったが、3rdアルバム『MADE IN LGYankees』のプロモーションで出演した『音流〜On Ryu〜』で明らかにした。
  9. ^ G2|LGヤンキース 「ディスられる理由」(藤野眞功)|第3回:仙台での噂(1)


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