80式空対艦誘導弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 06:19 UTC 版)
種類 | 空対艦ミサイル |
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製造国 | 日本 |
設計 | 技術研究本部・三菱重工業 |
製造 | 300発以上 |
性能諸元 | |
ミサイル直径 | 350 mm |
ミサイル全長 | 3,980 mm |
ミサイル全幅 | 1,190 mm |
ミサイル重量 | 600 kg |
弾頭 | 弾頭重量:150kg |
射程 | 推定50キロメートル (27 nmi)[1] |
誘導方式 |
中途航程:慣性誘導 終末航程:ARH誘導 |
飛翔速度 | 亜音速 |
来歴
昭和40年代、第3次防衛力整備計画に基づき、「F-86Fの後継機として戦技訓練が可能で支援戦闘の潜在能力をもち、かつ超音速飛行の能力を有する練習機」としてT-2の開発が進められていた[4][5]。その設計段階では、ブルパップ空対地ミサイルも話題になり、指令誘導装置の後日装備余地を確保することも検討されたものの、真剣な議論には至らなかった[6]。
T-2の開発の主契約会社は三菱重工業であったが、富士重工業も協力者として開発に参画していた[5]。そしてXT-2の初飛行の直前にあたる1971年6月、パリ航空ショーにおいて、同社は、フランスのマトラ社より、空対艦ミサイルの開発に関する接触を受けていた。当時、ヨーロッパでは、同国のアエロスパシアル社のエグゾセ、西ドイツのメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(MBB)社のコルモランなど、新世代の対艦ミサイルの開発が進められているところであった[6]。
1972年からは、T-2をもとに単座化し、爆撃能力の強化や外部搭載能力の増加などを図った支援戦闘機の開発が着手され、1976年11月の部隊使用承認とともにF-1と命名された。同機の開発段階では、ヨーロッパの情勢も踏まえ、将来構想(プロビジョン)として近距離空対艦ミサイル(ASM)の運用も想定されていた[4]。その後、F-1の開発進展に伴って、こちらの開発も進められることになり、1973年11月30日の要求性能上申ののち、1974年3月28日に基本要目が決定され、翌日には基本設計命令が下され、8月10日にはその報告が示された。以後、昭和49年度から昭和53年度にかけて試作が実施されるとともに、昭和50年度より各年度の試作に関連する技術試験が実施され、昭和53年度末をもって試作を完了した[2]。
技術試験においては、昭和52年度第3四半期より誘導弾の発射試験を開始しており、1979年5月からは航空自衛隊による実用試験に入った。これらの発射試験では、模擬標的に対し15発を発射予定であったものが直撃弾が続出して標的が破損してしまったために1発を残して終了したり、「かや」を実艦標的として実弾3発を発射予定であったものが初弾で撃沈してしまったために2発を残して終了したりと、予想以上に誘導制御性能が良好であることが確認された[2][注 1]。
F-1支援戦闘機を発射母機とすることを前提に開発された物だが、F-4EJ改戦闘機およびF-2戦闘機でも運用される。
設計
ミサイルは葉巻型の胴体中部に4枚の主翼および末尾に4枚の操舵翼をつけた形状となっている[2]。ミサイルは、前方よりセンサー部、誘導部、弾頭部、エンジン部からなる[2]。
エンジンは固体燃料ロケットを用いている。4軸の操舵翼は電気サーボ機構によって駆動されており、最大舵角は±20度、最大出力トルクは3.5 kgf·mである[1]。
誘導方式としては、中途航程ではストラップ・ダウン方式の慣性誘導、終末航程ではアクティブ・レーダー・ホーミング(ARH)誘導を使用する。レーダーの動作周波数はXバンドである。電子防護に配慮しているほか、周波数変換機能や電波妨害源追尾機能を備えていると考えられている。またこのほか、シースキマーとして、飛翔高度測定のためFM/CW方式の電波高度計を備えている。目標への突入はシャローダイブまたはシースキミングである[1]。
このミサイルは、当初より発展性を考慮したモジュール設計となっており、日本の対艦誘導弾ファミリーの基となった[1][2]。これを基に推進機関をジェットエンジン化した88式地対艦誘導弾・90式艦対艦誘導弾・91式空対艦誘導弾・93式空対艦誘導弾が開発されている。また、コスト管理により低価格化への配慮が払われている[1][2]。
注釈
出典
- 1 80式空対艦誘導弾とは
- 2 80式空対艦誘導弾の概要
- 3 登場作品
- 4 脚注
固有名詞の分類
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