3次元コンピュータグラフィックス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 03:27 UTC 版)
各国の3DCG
世界で最も3DCGの研究・実用化が進んだ国はアメリカである。ACM(国際計算機学会)におけるSIGGRAPHの主催など研究での盛んさに加え、ハリウッドの映画産業がバックボーンにあり、計算機科学の先駆研究者達を擁するピクサーなどの制作会社によって3DCGアニメが大量に制作され、実写作品にも盛んに3DCG技術が用いられている。アメリカでの特に重要な研究業績には、アイバン・サザランドによるヘッドマウントディスプレイ(1966年)、エドウィン・キャットマルによるテクスチャマッピングやZバッファ(共に1974年)、サブディビジョンサーフェス(1978年)、ジム・ブリンによる環境マッピング(1976年)やBlinn-Phongの反射モデル(1977年)やバンプマッピング(1978年)、ジェームズ・クラークによるジオメトリエンジン(1980年)、ターナー・ウィッテッドによる再帰的レイトレーシング(1980年)、ジム・カジヤによるレンダリング方程式やパストレーシング(1986年)などがある。1995年には初のフル3DCGの長編映画『トイ・ストーリー』が制作された。
フランスのピエール・ベジェはベジェ曲面を考案(1970年)し、アンリ・グーローはグーローシェーディングを考案(1971年)した。
ベトナムのブイ・ツォン・フォンはPhongの反射モデルやフォンシェーディングを考案(1975年)した。
カナダでは初のフル3DCGのテレビ向け30分枠アニメシリーズとして『リブート』(1994年)が制作された。 フランスでは同じくフル3DCGのテレビアニメシリーズ『インセクターズ』(1994年)が公開された。
デンマークのヘンリク・ヤンセンはフォトンマッピングを考案(1996年)した。
日本の大阪大学大村皓一らはメタボールを実用化(1982年)し、福山大学西田友是らはMichael F. Cohenらとほぼ同時にラジオシティを考案(1985年)した。
コンピュータゲームにおいては、アメリカではパソコンが主流のため技術革新に対応しやすく、その点では世界のビデオゲーム産業の盟主たる日本を追い越す結果となった(セガの『バーチャレーシング』、『バーチャファイター』シリーズ、PlayStationなどといった3DCGの採用は早かったものの、蓄積されたのは専用に近いアーケードゲーム基板や家庭用ゲーム機など数年間は性能が固定されるハードウェアに依存した技術が多かったとも言われている)。
日本のアニメでは、劇場版『ゴルゴ13』やテレビアニメ『子鹿物語』(共に1983年)での部分的に用いられた3DCGの導入の時期は世界的にも早かった。ゴルゴ13のCGパートはトーヨーリンクスと大阪大学大村皓一らチームの開発による3DCGシステムで制作されるなど、当時は国産システムの開発が行われていたが、こうした動向は次第に廃れている。国内でのフル3DCG作品では、写実調ではテレビ用映画『VISITOR』(1998年)、アニメ絵調では劇場版『アップルシード』(2004年)が長編作品の端緒に挙げられる。テレビ向けのフル3DCG作品は数分程度の短尺な作品が多いが、30分枠テレビシリーズも『SDガンダムフォース』(2004年)の頃から少数ずつ制作されている。
日本では漫画文化を背景として線画表現への親しみが深く、1990年代後半頃からアニメーターによる手描きアニメに3DCGを馴染ませた表現が普及している[2]。3DCGは背景動画やロボット、群衆シーンなどの作画に労力のかかる部分に多く使われるほか、近年はトゥーンレンダリングの表現力向上により、キャラクター描写を部分的に3DCGでおこなう作品(プリキュアシリーズ〈2009年シリーズ以降〉など)も現れている。
注釈
- ^ Phongシェーディング (Phong shading) とはまた違う技術である。
出典
- ^ コンピュータグラフィックス | 3. 3次元変換と投影, 佐藤証, 電気通信大学
- ^ “日本にフルCGアニメは根付くのか?”. CGWORLD.jp/Enhanced-Endorphin. ボーンデジタル/東映アニメーション (2012-2013). 2019年11月13日閲覧。
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