高等法院 (フランス) 高等法院 (フランス)の概要

高等法院 (フランス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 15:49 UTC 版)

パリ高等法院におけるシャルル7世親裁座英語版

高等法院は売官制により官職を購入した法服貴族により構成されていた。通常の司法権限だけでなく、勅令や法令の登記や国王に建言する立法的行政的権限も有しており、貴族階級の特権を擁護する彼らはしばしば王権と対立した。その対立の最たるものがルイ14世の治世初期に起こったフロンドの乱である。ブルボン朝末期には、彼らと国王との対立がフランス革命の契機の一つとなった。革命が起こると高等法院は1790年に廃止された。

歴史と概要

中世のフランスにおいては国王を取り巻く王会[注 1]が王国内の全ての事項を取り扱っていた。13世紀、王権の拡大に伴い王会は政務を扱う国務会議、財政を扱う会計監査院、そして司法を扱う高等法院の三つの機関に分割された。当初はパリ高等法院だけであり、シテ島にある中世の宮殿内に建てられ、この場所は現在のパレ・ド・ジュスティス(パリ裁判所)である。

14世紀まではパリ高等法院が王国全域を管轄していたが、百年戦争の混乱が続く1443年シャルル7世ラングドック地方に独自の高等法院を認め、トゥールーズ高等法院が設置された。これが最初の地方高等法院で、その管轄権は南フランスのほとんどの地域に及んでいる。1443年からフランス革命までに他の地方でも幾つかの高等法院が設立されている。アンシャン・レジーム終焉までに地方高等法院が設立された地方は(北から)アラスメスナンシーコルマールディジョンブザンソングルノーブルエクスペルピニャントゥールーズポーボルドールーアンである。これらは歴史的に独立性が強い地域の行政首都に置かれた。パリ高等法院は北部と中部のほとんどを占める最も広い管轄地域を有しており、単に「高等法院」と呼ばれた。

これらの法院の官職は通常は国王から購入し、そしてこの身分は国王ポーレット税英語版を支払うことによって世襲ができ、法服貴族[注 2]と呼ばれた。国王によって強固に統一されているのではなく司法制度、税制そして慣習において多様であったフランスにおいて彼らは強力な分権勢力となっていた。幾つかの地域では地方三部会が継続して開催され、ある種の自治による立法と管轄地域における徴税を執行していた。

通常の司法機能以外に全ての高等法院は勅令の発効や慣習法を実施するための規定布告を出すことができ、それ故、彼らは基本法や地方慣習[注 3]に反すると判断したならばその勅令の登記を拒否することもできる勅法登記権と、国王に助言を述べる建言権を有していた[2][3]

司法官たちの見解では高等法院の役割には立法過程に積極的に参加することが含まれるとし、このことが彼らとアンシャン・レジーム期の絶対王権の進展との紛争の増大をもたらすことになり、16世紀には国王が親裁座英語版に就き勅命の登記を強いるようになった[4][3]

高等法院はガリカニスム(フランス教会自立主義)を擁護して教皇に対する王権の優越を支持した。ユグノー戦争の時には高等法院は教皇の権力を強化するトリエント公会議の教会改革のフランスへの導入に反対した。内戦の終わりにはアンリ4世は各地の高等法院の忠誠を獲得している。

勅法登記権と建言権をもって高等法院(特にパリ高等法院)は、しばしば王権と対立した。その最たるものがフロンドの乱(1648年~1652年)である。パリ高等法院はイングランド議会と同様の王国内の財務に関する権限を要求した[5]。イングランド議会を構成する二院のうちの庶民院は選挙で選出された議員によって構成されるが、高等法院は世襲官僚によって構成されている。

1673年ルイ14世は勅令の登記に際して高等法院による如何なる批評も禁じた。これにより、彼の治世では高等法院は建言権を封じられてしまった。ルイ14世が死去すると、パリ高等法院は王の遺言を廃棄してオルレアン公摂政就任を支持する代わりに建言権を取り戻している。

1750年、高等法院は全身分に対する課税を含む王権強化の改革を妨害した。このため、ルイ15世は高等法院の権限を削減する決意をする。1771年、大法官モープー英語版はパリ高等法院と地方高等法院を廃止して、権限を六つの機関に分割する司法改革を断行した。だが、次のルイ16世は「高等法院なしに国王はない」とのモールパ伯の進言により、1774年に高等法院を復活させる誤りを犯してしまう。そして、ルイ16世は常に高等法院の抵抗に遭い妥協を強いられるようになった。高等法院はフランス革命前の1780年代の政治的動揺に重要な役割を果たしている。高等法院は貴族特権を守るために国王に抵抗していたのだが、国王の「専制」に反対する「民衆の父」[6]として多くの人々から支持された。あらゆる改革に抵抗することによって、彼らは革命を準備したことになる。だが、高等法院は革命の最初の犠牲者となった。1790年国民議会の決定により世襲の司法官たちは選挙により選出された新たな司法官に替えられ、高等法院は解体された[7]

地方高等法院

アンシャン・レジーム期のフランス各州の高等法院と最高評定院[注 4] 数字は設立年[8]

  1. ^ Conseil du RoiまたはCuria regis
  2. ^ noblesse de robe
  3. ^ coûtumes
  4. ^ conseils souverain
  5. ^ la grand-chambre
  6. ^ la chambre des enquêtes
  7. ^ la chambre des requêtes
  8. ^ noblesse d'épée
  9. ^ noblesse de robe
  10. ^ épices:スパイスの意味で、当初、香料漬けの果物や糖果を贈る習慣であったので、転じて裁判官への贈答品をさす。後には単に金銭を払う賄賂となった
  11. ^ question ordinaire
  12. ^ question extraordinaire
  13. ^ lit de justice
  14. ^ lettre de cachet
  15. ^ arrêts de réglement
  1. ^ 「アンシアン・レジーム―フランス絶対主義の政治と社会」(ユベール・メティヴィエ (著)井上堯裕 (翻訳)、白水社、1965年)p65
  2. ^ 「ルイ14世 フランス絶対王政の虚実」(千葉治男、清水書院、1984年)p40-41
  3. ^ a b 「アンシアン・レジーム―フランス絶対主義の政治と社会」(ユベール・メティヴィエ (著)井上堯裕 (翻訳)、白水社、1965年)p66
  4. ^ Mack P. Holt, "The King in Parlement: The Problem of the Lit de Justice in Sixteenth-Century France" The Historical Journal 31.3 (September 1988:507-523).
  5. ^ 「ルイ14世 フランス絶対王政の虚実」(千葉治男、清水書院、1984年)p41
  6. ^ 「フランスの法服貴族―18世紀トゥルーズの社会史」(宮崎揚弘、同文舘出版、1994年)p222
  7. ^ 「フランスの法服貴族―18世紀トゥルーズの社会史」(宮崎揚弘、同文舘出版、1994年)p225
  8. ^ Dates and list based on Pillorget, vol 2, p. 894 and Jouanna p. 1183.
  9. ^ 「フランスの法服貴族―18世紀トゥルーズの社会史」(宮崎揚弘、同文舘出版、1994年)p47
  10. ^ Abstract of dissertation "'Pour savoir la verité de sa bouche': The Practice and Abolition of Judicial Torture in the Parlement of Toulouse, 1600-1788" by Lisa Silverman.
  11. ^ 「フランスの法服貴族―18世紀トゥルーズの社会史」(宮崎揚弘、同文舘出版、1994年)p48
  12. ^ 「フランスの法服貴族―18世紀トゥルーズの社会史」(宮崎揚弘、同文舘出版、1994年)p47-48
  13. ^ Michael H. Davis, The Law/Politics Distinction, the French Conseil Constitutionnel, and the U. S. Supreme Court, The American Journal of Comparative Law, Vol. 34, No. 1 (Winter, 1986), pp. 45-92
  14. ^ James Beardsley, Constitutional Review in France, The Supreme Court Review, Vol. 1975, (1975), pp. 189-259
  15. ^ Denis Tallon, John N. Hazard, George A. Bermann, The Constitution and the Courts in France, The American Journal of Comparative Law, Vol. 27, No. 4 (Autumn, 1979), pp. 567-587


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