震災手形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 12:35 UTC 版)
起因
1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災は当時の日本銀行の推計で45.7億円の損害が出た。当時の国家予算が15億円、またGNPは150億円であったことを見ても、甚大な被害であることがわかる。このため被災した企業が支払いができなくなる事態を想定して、9月7日に緊急勅令によるモラトリアムが出され、9月中に支払期限を迎える金融債権のうち被災地域の企業・住民が債務者となっているものについては支払期限を1か月間猶予した。続いて、割引手形がモラトリアム終了後にも決済不能となって経済活動が停滞して悪影響が生じる懸念に対応し、これらの手形に流動性を付与するため、9月29日に震災手形割引損失補償令が出された。被災地の東京・横浜で営業していた企業などが振り出したもので、震災以前に割引手形となっていたものを対象として日本銀行が再割引に応じて現金を供給した。支払いに2年間の猶予を与え、日本銀行が損失を被った場合は政府が1億円まで補償するという内容であった。
根拠法・法令等
モラトリアム令
正式名称「私法上の金銭債務の支払延期及手形の権利保存行為の期間延長に関する件」
日本銀行震災手形割引損失補償令
- 大正12年勅令第424号、1923年(大正12年)9月23日発布
- 特定地域で振り出された手形で1923年(大正12年)9月1日(関東大震災当日)以前に銀行が割引き、期限が同30日までの物は、日本銀行が再割引に応じる。
- 再割引した手形の決済期限は1925年(大正14年)9月30日とする。
- これらの手形の処理で日本銀行が損失を被った場合は1億円に限り政府が補償する。
- 1925年(大正14年)3月31日公布の法律第35号[1]で期限を1926年(大正15年)9月30日まで繰り延べ。
- 1926年(大正15年)3月29日公布の法律第33号[2]で期限を1927年(大正16年[3])9月30日まで繰り延べ。
震災手形関係二法
震災手形善後処理法と震災手形損失補償公債法を合わせて言い、1927年(昭和2年)1月26日に第52回帝国議会に上程された。この処理を巡る政争から金融不安が高まり、昭和金融恐慌が発生した。
震災手形善後処理法
- 1927年(昭和2年)3月30日施行
- 日本銀行震災手形割引損失補償令で日本銀行が割引いた手形を所有する銀行に2億700万円を限度に国債を貸し付け、10年割賦で返済を行う。
震災手形損失補償公債法
- 1927年(昭和2年)3月30日施行
- 日本銀行が震災手形の処理で被った損害については、1億円を限度に国債の形で政府が補償する。
選別
実際には持ち込まれた手形のうち、震災を原因として真に困窮に陥ったものについては「リスクが大きい」として排除したり、追加の担保の差し入れを求めるなどの選別が行われたとの指摘がある[要出典]。震災によって一挙に財産や担保となる物件を失った場合には直ちに金策を巡らすことが困難で、それゆえにモラトリアムの対象とすべきところが、かえって担保がなくリスクの高い案件と見なされて排除された。一方で一応の担保を備え形式を整えた手形が「安全」と見なされ震災手形の扱いを受けた。この中には鈴木商店関連など第一次世界大戦後の投機の失敗で決済不能となった手形が大量に紛れ込み、期限である1924年(大正13年)3月までに日本銀行が行った再割引は補償限度を超える4億3000万円以上になった。
震災手形と同じ種類の言葉
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