震災手形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 12:35 UTC 版)
処理
当初は、およそ2年で手形の決済がほぼ完了すると予想し、猶予期限を2年とした。しかし、前述のように、真に震災を直接の原因とする危険な手形が避けられる一方、安全・確実と見られて受け入れられた手形の中には形式上は担保も備えているが実際は投機の失敗で支払いの見込みの無い悪質な手形も含まれていた。それらの手形は期限が到来しても処理が進まず2億円を超える膨大な不良債権が残された。
やむなく1年の期限延長を2回繰り返して1927年(昭和2年)9月まで延長したもののなお処理が進まず、同年初頭、10年で償還する国債を発行して損失を処理する震災手形関係二法が提出された。この頃には、不良債権のかなりの部分が台湾銀行の所有するものであり、その要因は鈴木商店への多額の貸付の焦げ付きであるとささやかれていた。法案には台湾銀行の不良債権の実態を調べて根本的に整理するという付帯条件が付けられた。
影響
経済全般をみても、第一次世界大戦終結後の在庫の大量滞留によって引き起こされた不況がようやく改善された矢先の震災によって、必要以上の緊急輸入を行ったために再度の在庫の大量滞留が発生して復興景気の効果を相殺し、結果的に震災手形の不良債権化の要因の一つとなった。こうした中で震災手形の処理方法を巡る政争をきっかけにして1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌が発生することになった。
参考文献
- 『日銀の手形再割引 一億円を限り損失補償 緊急勅令愈々公布さる』1923年9月28日付 大阪毎日新聞 - 補償額を1億円とした根拠と、金融膨張の懸念に対する蔵相の見解が見える。
- 標題:私法上ノ金銭債務ノ支払延期及手形等ノ権利保存行為ノ期間延長ニ関スル件 - モラトリアム令の実物のスキャン画像
- 日本銀行百年史(第3巻)前編 銀本位・金本位制度時代(PDF)
- 震災手形善後処理法の内容 眼目は二三流銀行の救済 - 神戸大学附属図書館収蔵の新聞記事 (1927年1月27日付大阪朝日新聞)のスキャン画像ならびにテキスト
関連項目
震災手形と同じ種類の言葉
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