近接航空支援 歴史

近接航空支援

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/18 03:33 UTC 版)

歴史

近接航空支援そのものは、空軍力の任務としては古典的なものであるが、航空優勢の獲得競争という本格的な航空戦の開始とともに、その重要性は相対的に低下したものとみなされた。しかし、アメリカ海兵隊海兵隊航空団は、海兵隊の地上部隊の支援が主任務の1つであったことから、近接航空支援任務を依然として重視しており、研究を重ねていた。この結果として開発された攻撃法の1つが急降下爆撃であり、1927年ニカラグアにおけるサンディーノ戦争で実戦投入された。

急降下爆撃法および近接航空支援の運用法は世界各国に影響を与えたが、特にドイツ空軍において影響が大きかった。ドイツ軍は当時、陸軍装甲部隊化を推進していたが、支援火力を提供する砲兵部隊の戦術機動力が不足していることが師団の機動を制約していた。そこで、支援火力を近接航空支援に大きく依存することにより、機甲師団の機動力を大幅に向上させうることから、電撃戦ドクトリンが採択されるに至ったのである。

大祖国戦争独ソ戦)にて、このドイツ空軍と対峙したソビエト連邦軍は、シュトゥルモヴィーク(襲撃者)と呼ばれる、重装甲大口径機関砲を装備した近接航空支援を主任務とする攻撃機でドイツの電撃戦戦術に対抗し、成形炸薬弾頭を有するロケット弾を主体とする襲撃戦法でドイツ機甲部隊を打ち破っている。第二次世界大戦後、西側諸国では近接航空支援の任務を対地攻撃用兵装の攻撃機や軽攻撃機が担当し、近接航空支援専用機はほぼ無くなった[2]が、ロシア連邦ではその後もシュトゥルモヴィークと呼ばれる機種区分は存在し続けている。

日本陸軍ではシュトゥルモヴィークに相当する任務を行う攻撃機を「襲撃機」と呼称しており、「軽快な低空運動性・低搭載量・低常用高度・固定機関砲装備・装甲装備」が航空撃滅戦を主任務とする爆撃機との主な違いであった[3]


  1. ^ A Dictionary of Aviation, David W. Wragg. ISBN 10: 0850451639 / ISBN 13: 9780850451634, 1st Edition Published by Osprey, 1973 / Published by Frederick Fell, Inc., NY, 1974 (1st American Edition.), Page 29.
  2. ^ 青木謙知『ミリタリー選書1現代軍用機入門(軍用機知識の基礎から応用まで)』イカロス出版13頁
  3. ^ 陸軍航空本部第三課 『陸軍航空兵器研究方針ノ件達』 1940年4月、アジア歴史資料センター、Ref:C01005534700


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