赤穂市 経済

赤穂市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 06:09 UTC 版)

経済

特産品

  • 忠臣蔵に関する物品
  • を使った食品
  • 坂越牡蠣
    • 牡蠣加工食品
  • イカナゴの釘煮
  • 赤穂みかん
  • 穂竜 - 赤穂生まれの鑑賞用金魚の品種。銀色の基本色に金色の柄の載った高頭出目パールが特徴。市内で行われる品評会には全国から愛好家が集まる。

兵庫県指定伝統工芸品

  • 赤穂雲火焼 - 江戸時代後期に大嶋黄谷によって創出された焼き物[36]。夕焼け雲を連想させる独特の紋様が特徴。
  • 赤穂緞通[37](日本三大緞通) - 江戸時代末期に児島なかによって発案された綿の緞通。全工程が手作業で、挟せて、摘む(つむ)独自の技法で織られ、その独特な色合いと文様は幻の緞通とも言われた。最盛期は高級敷物として海外にも輸出、皇后御召列車東宮の御船、枢密院玉座の敷物として使われた。京都祇園祭で保存使用されている屏風飾りの敷物の多くも赤穂緞通である。佐賀の鍋島と大阪のと並んで日本三大緞通の一つ[38]

産業

赤穂市の労働力人口のうち、産業分類別就業者比率(H27年)

  • 第1次産業就業者数 483人(2,3%)
  • 第2次産業就業者数 7,095人(33,3%)
  • 第3次産業就業者数 13,436人(63,0%)

主な産業事業所

漁業

坂越港全景
  • 坂越漁港
  • 福浦漁港

金融機関

電力

福浦地区は中国電力ネットワークの供給エリアで、それ以外は関西電力送配電の供給エリアである。


注釈

  1. ^ 赤穂事件発生は旧暦の12月14日で太陽暦では1月下旬になる。
  2. ^ 最近は日本近海での塩の生産が困難となったため、生産元のひとつではオーストラリアシャーク湾の海水をもとに作られた塩を輸入し日本国内で生産されたにがりを合わせる形で塩を生産している[1]

出典

  1. ^ 「赤穂の天塩」のこだわり 株式会社天塩 2019年1月5日閲覧
  2. ^ 10立方メートル使用時の月額料金は367円で、国内最高値の群馬県長野原町の3510円と比べると約10倍の格差がある。2014年(平成26年)日本水道協会調べ。
  3. ^ 神吉和夫、箟源亮、多渕敏樹、中西英之、広山堯道「赤穗水道の沿革と現状」『日本土木史研究発表会論文集』第1巻、土木学会、1981年、78-83頁、doi:10.11532/journalhs1981.1.78 
  4. ^ ◆コラム◆ 赤穂上水道について 赤穂市教育委員会
  5. ^ 「日本第一」の塩を産したまち 播州赤穂
  6. ^ 荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~
  7. ^ a b c d e 赤穂は「あかほ」、忠臣蔵でも「あかほぎし」 では、いつから、なぜ「あこう」に?”. 神戸新聞. 2021年11月25日閲覧。
  8. ^ (4797) Ako = 1978 VY9 = 1985 QB4 = 1989 SJ”. 2022年7月5日閲覧。
  9. ^ 赤穂市中心に巨大カルデラ 8200万年前に形成 神戸新聞
  10. ^ 巨大カルデラ兵庫・赤穂に 阿蘇や姶良に匹敵、産総研 神戸新聞
  11. ^ 赤穂市は恐竜時代のカルデラの中にできた町だったことが判明 産総研
  12. ^ 兵庫に巨大カルデラ=白亜紀後期に噴火の跡-産総研 時事通信社
  13. ^ a b c 『赤穂市史』第一巻. 赤穂市. (1981) 
  14. ^ 『赤穂市史』第四巻. 赤穂市. (1984) 
  15. ^ 木簡庫 奈良文化財研究所:詳細”. mokkanko.nabunken.go.jp. 2019年7月27日閲覧。
  16. ^ a b c d 『赤穂市史』第二巻. 赤穂市. (1983) 
  17. ^ a b c d 国史跡赤穂城跡(兵庫県赤穂市) 公式Webサイト”. 赤穂市教育委員会. 2019年7月28日閲覧。
  18. ^ 1976年(昭和51年)9月11日夕刊、3版、9面
  19. ^ 旧・中三原、門三原村は赤穂浅野氏の領地。いじめ問題にも積極的に取り組んでいる。
  20. ^ 農村歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」が活発に上演される。
  21. ^ 赤穂民報「小豆島2町と災害支援など連携へ」(2017.1.28)
  22. ^ ともに吉良義央を絶命させた功労者・武林隆重の祖父・孟二寛の出身地。
  23. ^ グラントウキョウノースタワー内に吉良邸在宅者の供養碑など。
  24. ^ 栗崎道有邸に義央と戦死者の墓および追悼塔。
  25. ^ 市谷筑土八幡町に吉良家関係者の供養施設。
  26. ^ 巣鴨の慈眼寺に小林央通と曽孫・葛飾北斎の墓。
  27. ^ 旧・人見村は吉良氏の領地。
  28. ^ 市内に吉良の男系子孫・米沢藩の飛び地あり。色部安長と子孫・色部久長の顕彰碑。
  29. ^ 「吉良家文書」を松浦家が保管。また、松浦清による著書『甲子夜話』が現存。
  30. ^ ただし、吉良の男系子孫である現当主は12月14日に先祖・戦死者の供養のみならず、2月4日には義士の供養もされており、サミットなどの行事にゲスト参加の場合がある。
  31. ^ 駒澤大学名誉教授・廣瀬良弘『禅宗地方展開史の研究』など(金石文『曹洞宗全書』より)。明治に民間から海外に流出したとされる(ウイーン美術館)。当時の住職による義士遺品の無断売却とは無関係。
  32. ^ 浅野内匠頭の遺品について赤穂市への返還問題があり、浅野氏による散逸責任を理由に一般公開もされていない。
  33. ^ 赤穂民報「イタリア大使館で義士慰霊祭」(2015.12.5)ほか
  34. ^ 明星院義士祭は市の主催でなく、あくまで特定の宗教法人が実施するイベントとしての扱い。
  35. ^ 『平成9年 忠臣蔵サミット』」資料より「忠臣蔵ゆかりの地」(赤穂市)
  36. ^ 雲火焼、料理彩る 江戸期赤穂で生まれた幻の陶器 神戸新聞
  37. ^ 赤穂緞通(あこうだんつう) 赤穂市
  38. ^ 赤穂緞通について 工房ひぐらし
  39. ^ 当時の泉岳寺住職により、義士遺品の大半が売却されてしまっている。勝部真長1994『日本人的心情の回帰点 忠臣蔵と日本人』(PHP研究所)p.169-73
  40. ^ 「原惣右衛門(元辰)が使った可能性のある脇差が発見」読売新聞・地方版(2009.11.14)
  41. ^ 「近松勘六行重 吉良邸討入りで使用したと伝わる槍を子孫が奉納」赤穂民報(2010.12.13)
  42. ^ 池田輝興は岡山、永井直敬は岩槻にて死去したため、池田家永井家の墓は花岳寺に無い。(『播州赤穂 台雲山花岳寺』より「境内案内」)。また、森家は森長孝の代に臨済宗に改宗しており、長孝から十一代・忠典まで花岳寺を使用していない。それでも、現当主の森可展は森家の供養に参加されている(「赤穂民報、2013年5月19日」)。
  43. ^ 後藤仁公式ホームページ「後藤 仁(GOTO JIN)のアトリエ」後藤仁公式ブログ「後藤 仁(GOTO JIN)の制作・旅日誌」
  44. ^ 釣俊輔 Profile アゲハスプリングス
  45. ^ 戦国大名の赤松氏・宇喜多氏も赤穂を統治しているが、佐用・龍野などからの間接統治(宇喜多家文書「宇喜多秀家士帳」など)。
  46. ^ 国史跡赤穂城跡(兵庫県赤穂市) 公式Webサイト
  47. ^ 発掘調査ではその痕跡の可能性がある遺構が発見されている赤穂城跡二之丸門枡形発掘調査現地説明会資料”. 赤穂市教育委員会. 2019年8月2日閲覧。
  48. ^ 中山成彬Twitter@nakayamanariaki(午前9:10 · 2013年7月6日)
  49. ^ 小池百合子「自宅で親を看取る」(幻冬舎、2014年)






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