西義之 (ドイツ文学者) 生涯

西義之 (ドイツ文学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 02:40 UTC 版)

生涯

日本統治時代台湾台中市生まれ。東京大学独文科卒業金沢大学助教授、1964年東京大学教養学部助教授、1970年教授。1983年定年退官、名誉教授、金城短期大学学長を務めた。

ドイツ文学専攻で、ヘルマン・ヘッセシュテファン・ツヴァイクなど翻訳多数。1960年代から1970年代にかけて、進歩的知識人を批判、論争し、相手方から「ファシスト」と呼ばれた。[要出典]

1975年の『誰がファシストか』では、西欧のファシズム研究を紹介しつつ、進歩派こそファシストではないかと批判した。このあり方は、東大教授の先輩に当たる竹山道雄を継承するものである。[要出典]

1990年代以降は、大東亜戦争肯定論の類に対して疑問を投げかけていた。

産経新聞正論欄」のメンバーとして、長年執筆をおこなった。

1998年、勲三等瑞宝章受章[1]

2008年10月9日、肺炎のため東京都中央区の病院で死去。86歳没[2]。死去は2009年1月23日に遺族から公表された。

著書

  • 『現代ドイツの東と西 祖国をさまよう人々』(新潮社) 1962
  • 『戦後の知識人 自殺・転向・戦争犯罪』(番町書房) 1967
  • ヒットラーがそこへやってきた』(文藝春秋) 1971
  • 『誰がファシストか 現代ファシズム学入門』(ごま書房、ゴマブックス) 1975
  • 『キリスト教のわかる本』(廣済堂出版) 1975
  • 『学校は何ができるか 教師の責任・親の責任』(サンケイ出版) 1977
  • 『変節の知識人たち』(PHP研究所) 1979
  • 『新・「菊と刀」の読み方 戦後日本と日本人の変容の歴史を再点検する』(PHP研究所) 1983
  • 『ドイツ文学と芸術の旅』(三修社) 1984
  • 『ドイツうまいものの旅』(三修社) 1985
  • 『ドイツライン・バイエルン・ロマンティック街道案内』(三修社) 1986
  • 『ドイツ人の生き方死に方 ミュンヘンを舞台に』(教育社) 1987
  • 『繁栄西ドイツが落ちた罠 日本は本当に大丈夫か』(光文社、カッパ・ビジネス) 1988
  • 『定年教授の食卓』(春秋社 1993年
  • 『天才たちの死に学ぶ ツヴァイク、フロイトモーツァルトゲーテの死の瞬間まで』(文藝春秋) 1994
  • 『「武士道」幻想 新渡戸稲造論』(下田出版) 2004

翻訳


  1. ^ 「98年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、及び外国人の受章者一覧」 - 『読売新聞』1996年(平成8年)11月3日朝刊
  2. ^ “西義之氏死去 東大名誉教授”. 共同通信社. 47NEWS. (2009年1月24日). オリジナルの2015年2月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150220054747/http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009012401000329.html 2015年2月20日閲覧。 


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