第31回NHK紅白歌合戦 後日譚

第31回NHK紅白歌合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 21:21 UTC 版)

後日譚

  • 電光掲示板による勝負判定は、今回で一旦区切りをつけた(抽選で選ばれた視聴者からの電話を得点集計センターで集計)。翌年の第32回から「日本野鳥の会」による得点集計に移行した
  • 第23回1972年)にてんぷくトリオの一人として応援出場し、今回まで9連続応援役を務め、1970年代紅白に欠かせない応援役となった三波伸介は、今回が最後の出演となった。
  • 1989年と1994年に、『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された。なお再放送時には初回では使われなかった歌詞テロップを添えたが、石野真子の『ハートで勝負』の時、「危ないラブハンター」の部分のテロップが「危ないラブレター」と誤記された。
  • 第9回1958年)以来22年ぶりに紅組司会を務めた黒柳のこの記録は司会返り咲きまでの当時最長インターバル記録となった。以後黒柳は第34回1983年)まで4年連続で紅組司会を担当[注釈 4]した後、32年後の第66回2015年)で総合司会として司会復帰し、この記録を自身が更新した。

脚注

参考文献

  • NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)
  • 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』全音楽譜出版社、2012年12月15日。ISBN 978-4-11-880178-0 

関連項目


注釈

  1. ^ 当年10月に引退。
  2. ^ 出場歌手の松田聖子に加えて川﨑麻世渋谷哲平、山崎誠、藤慎一郎、倉田まり子佐藤恵利が参加。同じサンデーズのメンバーだった田原俊彦は敵方の出場歌手である事から参加していない。なお当初は松田ではなくサンデーズメンバーだった浜田朱里が参加する予定であったが、浜田がリハーサル中に負傷したため松田が代役となった。
  3. ^ 先攻・後攻を本番に決めるというのは、第18回1967年)と第20回1969年)で既に行われており、どちらもじゃんけんで決めていた。
  4. ^ 山川も第33回1982年)まで白組司会を続投。

出典

  1. ^ 合田, p. 137.
  2. ^ 合田, pp. 137–138.
  3. ^ 合田, p. 138.
  4. ^ a b 合田, pp. 138–139.
  5. ^ 『怪物番組 紅白歌合戦の真実』幻冬舎、2004年11月15日、138・139頁。 
  6. ^ a b 合田, p. 187.
  7. ^ 同様の企画は「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)でも行われた。
  8. ^ その後V3自体は第43回1992年)、第49回1998年)、第53回2002年)にゲスト出演している。
  9. ^ 朝日新聞』1980年12月8日付東京夕刊、11頁。


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