目黒考二 別名

目黒考二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/14 05:10 UTC 版)

別名

著書を数多くものしており、初めはジャンルごとに異なるペンネームを使っていた。

  • 群 一郎(むれ いちろう)[3]
  • 北上 次郎(きたがみ じろう)
  • 藤代 三郎(ふじしろ さぶろう)

など。他に、榊吾郎[4]、館六郎、車堂郎[5]のペンネームを使用した。私小説の目黒考二とミステリー文学評論家の北上次郎、競馬評論家の藤代三郎が主に使われ、自分でも収拾がつかなくなったため他ペンネームはほぼ使われていない。のち群一郎の「群」は、群ようこの作家デビューに際して贈られた。

経歴・人物

東京都生まれ[6]明治大学文学部卒業[1]2000年まで『本の雑誌』の発行人を務めていた[6]2001年より同誌顧問だったが[1]2010年に顧問からも退いた[7]2011年椎名誠 旅する文学館」の初代名誉館長になった[8]東ケト会では釜焚きの達人でもあった。

中学生までは野球少年で、本はほとんど読んだことがなかったが、高校入学後、読書に目覚め、SFを中心に大量の読書をするようになる。

明治大学で映画研究会に入り、先輩の菊池仁と読書仲間となる。卒業後、就職した会社を「毎日、通勤していたら、本が読めなくなる」と3日で退社。大学の聴講生となる。

1年後に菊池が勤める「ストアーズ社」に入社。やはりその会社に勤務していた椎名誠と知り合う。入社3日目にやはり「本が読めない」と退社しようとするが、椎名に引き止められ、半年間勤務する。その間に、「ストアーズ社」に始終出入りしていた沢野ひとしとも知り合う。

その後、同様に8社に入社するが、やはり同様の理由ですべて3日目で退社。実話雑誌を刊行している出版社 明文社に入社し[9]、『本の雑誌』の刊行まで6年間つとめた。このとき、明文社に半月だけ勤めた亀和田武とも知り合う[9]

職場はかわっても椎名らとは付き合いが続き、目黒は読書をするだけでは飽き足らなくなり、自分が読んだ本の中で面白かった本を紹介する、個人ペーパーを毎月定期的に椎名へと渡し、それを椎名が読書仲間にコピーして回覧したところ、評判となる。

その発展形として、椎名らと1976年、雑誌『本の雑誌』を創刊。従来の書評誌とは一線を画す、エンターテインメント中心の書評や、独自の企画で好評を呼ぶ。

なお、1977年ごろ、『本の雑誌』の経費を稼ぐために、「エロ漫画の原作」のアルバイトを椎名と共同で行っていた。椎名がストーリーを考え、目黒が台本化する形式で、1か月に4本から5本は書いていたという[10][注 1]

『本の雑誌』は、名義としては目黒は「発行人」で、椎名誠が編集長であったが、のち椎名がメジャーな文化人となり多忙となったため、実質の編集長は目黒となる。目黒は独自の眼力で、様々な連載陣を発掘し(メジャー化する前の大塚英志に連載依頼したり、まだ無名に近かった坪内祐三に長文のインタビューをするなどしている)、また社員であった(後の)群ようこをデビューさせるなど、編集者としての力量も評価されている。2001年に発行人を退任し、二代目発行人に浜本茂が就任した。

目黒自身も、創刊当時から『本の雑誌』誌上に、連載書評を書き続けていたが、当初、好きだったSFは、ニュー・ウェーブ以降の作品に興味がなくなり、冒険小説を主に書評するようになる。その書評は、日本における冒険小説の定着に大きな影響を与えた。後年は、中高年の男女を主人公とした「人生シミジミ系」小説を主に書評した。

趣味は競馬であり、平日は本の雑誌社に泊まって読書及び執筆活動、週末は競馬場通いという生活を続けていた。

また藤代三郎 名義で1993年の『週刊Gallop』創刊号から2022年12月25日号まで「馬券の真実」と題した随筆を連載するなど競馬関連の著作も数多く[11]、またグリーンチャンネルにて『全日本はずれ馬券委員会』『全日本はずれ馬券委員会2』という番組の司会を務めた[12]

椎名誠著『ぼくがいま、死について思うこと』(新潮社刊)には「七十五歳ぐらいで決着(死)をつけたい」という目黒の言葉が紹介されている。

2023年1月19日 午前10時、肺がんのため死去[2][11]。76歳没。

受賞・候補歴

  • 1984年 - 『冒険小説の時代』で日本冒険小説協会大賞最優秀評論大賞受賞[13]
  • 1985年 - 『本の雑誌風雲録』で日本ノンフィクション賞候補。
  • 1994年 - 『冒険小説論 近代ヒーロー像100年の変遷』で日本推理作家協会賞評論その他の部門、日本冒険小説協会大賞最優秀評論大賞受賞[13]。『余計者の系譜』で日本推理作家協会賞評論その他の部門候補[14]
  • 2015年 - 『昭和残影 父のこと』で城山三郎賞候補[15]

注釈

  1. ^ 関川も同時期にエロ漫画雑誌の編集長及び、原作執筆を手がけていたという[10]
  2. ^ 遺稿となった『週刊Gallop』2022年12月24・25・28日 有馬記念特集号の当該ページ[16]。ただし、雑誌刊行時点では「最終回」との記述はなく、2023年度も連載を継続する前提で執筆されているが、藤代(注:目黒考二)は「しかも私、本誌(注:『週刊Gallop』)が創刊した1993年から1号も休まずこの連載コラムを書いてきたのだ。ここでその記録が途絶えてしまうのも寂しい」と綴っている。

出典

  1. ^ a b c 会員名簿 北上次郎”. 日本推理作家協会. 2023年1月25日閲覧。
  2. ^ a b c 【訃報】目黒考二 逝去のお知らせ”. WEB本の雑誌. 本の雑誌社 (2023年1月25日). 2023年1月25日閲覧。
  3. ^ 【藤代三郎・馬券の休息(最終回)】馬券コレクターはいま?”. サンスポZBAT!競馬. 産経デジタル (2019年9月25日). 2023年1月25日閲覧。
  4. ^ 9月9日(金)昭和四十八年の北上次郎 - 目黒考ニの何もない日々”. WEB本の雑誌. 本の雑誌社 (2016年9月9日). 2023年1月25日閲覧。
  5. ^ 『本の雑誌』第238号p.81
  6. ^ a b 北上次郎 - 著者プロフィール”. 新潮社. 2023年1月25日閲覧。
  7. ^ 12月14日(火) 師走に思うこと - 目黒考ニの何もない日々”. WEB本の雑誌. 本の雑誌社 (2010年12月14日). 2023年1月25日閲覧。
  8. ^ 大西郁子 (2011年8月5日). “開館のごあいさつ”. 椎名誠 旅する文学館. 2023年1月25日閲覧。
  9. ^ a b 亀和田武『雑誌に育てられた少年』左右社、2018年11月30日、198頁。ISBN 978-4-86528-213-9 
  10. ^ a b 南伸坊「解説(関川夏央)」『さる業界の人々』筑摩書房〈ちくま文庫〉、1994年3月。ISBN 978-4-4800-2849-5 
  11. ^ a b "目黒考二さんが肺がんで死去、76歳 競馬エッセイスト・藤代三郎の名で幅広く執筆". サンケイスポーツ. 産経デジタル. 2023年1月25日. 2023年1月25日閲覧
  12. ^ 全日本はずれ馬券委員会2 グリーンチャンネル
  13. ^ a b 文芸評論家の北上次郎氏逝去”. ハヤカワ・オンライン. 早川書房 (2023年1月25日). 2023年1月25日閲覧。
  14. ^ 1994年 第47回 日本推理作家協会賞”. 日本推理作家協会. 2023年1月25日閲覧。
  15. ^ 城山三郎賞”. 角川文化振興財団. 2016年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月25日閲覧。
  16. ^ 藤代三郎さん死去 ギャロップ連載「馬券の真実」最後のコラムを再録”. サンスポZBAT!. 産経デジタル (2023年1月30日). 2023年1月31日閲覧。
    藤代三郎「「馬券の真実」連載1504」(PDF)『週刊Gallop(ギャロップ)』2022年12月25日号、サンケイスポーツ、2022年12月20日、2023年1月31日閲覧 
  17. ^ 〈日本ハードボイルド全集〉刊行開始! 第1巻は直木賞作家・生島治郎『死者だけが血を流す/淋しがりやのキング』”. Web東京創元社マガジン. 東京創元社 (2021年4月20日). 2023年1月25日閲覧。
  18. ^ 〈日本ハードボイルド全集〉第4回配本! 第3巻は直木賞候補作を含む初期代表作を集成 河野典生『他人の城/憎悪のかたち』”. Web東京創元社マガジン. 東京創元社 (2022年1月20日). 2023年1月25日閲覧。


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