浦沢義雄 人物、エピソード

浦沢義雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 10:08 UTC 版)

人物、エピソード

  • 脚本家になる以前の経歴は、本人が過去を語りたがらないこともあり詳らかでないが、ダンサーであったらしく[9]、『はれときどきぶた』や『うたう!大龍宮城』、『ボボボーボ・ボーボボ』、『おろしたてミュージカル 練馬大根ブラザーズ』などの作品にもその影響が見て取れる。過去のプロフィールでは、「クーデターにより失脚し、日本へ亡命した東南アジア某国の王子」と称していたこともある[3]
  • 当初は放送作家や脚本家になろうとは考えていなかったが、アルバイトとして参加した『ゲバゲバ90分』で喰始と知り合い、喰のようなギャグを書きたいと思うようになりコント番組を担当するようになった[4]。アニメについても興味はなかったが、『ルパン三世』の監修をしていた鈴木清順に会ってみたいという思いからの参加であったと述べている[4]
  • 一般的に構成作家は脚本の勉強も行っているが、浦沢は自身が脚本家になれるとは思っていなかったため脚本について全く勉強はしていなかった[1]。デビュー作である『ルパン三世』では前回分の脚本を参考にしながら執筆し、最終的にはほとんど書き直しになったという[1]。自分が手掛けた作品の中では『ルパン三世』がお気に入りの作品に挙げており、2001年のインタビューでは「けっこう楽しんでやってた」と語っている[12]
  • アニメーションの脚本も多数執筆しているが、「アニメはライターよりアニメーターの力のほうが強いから。(…)お手伝いしているという感じだね」と述べており、実写に思い入れがあるという。「俺はやっぱり映画が好きだから、実写なら映画のスタッフをやってるような気持ちになれるから」とも語っている[7]
  • 浦沢の脚本はト書きが簡素であり、監督の演出によって内容が大きく左右されることが多い。浦沢自身は映像のイメージは持っておらず、どう変えてもらっても平気だと述べている[2]
    • 東映不思議コメディーシリーズや『激走戦隊カーレンジャー』など多数の作品で長年コンビを組んだ坂本太郎は、浦沢の脚本は監督の自由にできる部分が用意されているので楽しく、苦労は多いが達成感も多いと述べている[13]。最初に浦沢の脚本を読んだときは戸惑ったが、段取り通りに撮るのではないということを教えられたという[2]
    • 魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』『魔法少女ちゅうかないぱねま!』などを撮った三ツ村鐵治は「笑った。」「泣いた。」「歩いた。」「朝になった。」などとだけ書かれたト書きが並ぶ台本に当初は「なんだコレは?」と思ったが、「いざやってみると、すごくやりやすかった」と回想する[14]
    • バッテンロボ丸』『ペットントン』『TVオバケてれもんじゃ』などで組んだ植田泰治プロデューサーは、浦沢のシナリオを「ロクにト書きはないんだけれど(笑)、面白くて、イメージが湧く」と評する[15]
    • スーパー戦隊シリーズを担当したテレビ朝日プロデューサーの梶淳は、ライバル番組であった不思議コメディシリーズの脚本に興味を持ち『勝手に!カミタマン』の脚本を見たところ、冒頭の2行が「路地裏」「タクアンがサーフィンしている」であったことに衝撃を受けたと述べており、この2行にかなう脚本は見たことがないと話している[16]
    • 『激走戦隊カーレンジャー』で主演を務めた岸祐二は、浦沢の脚本はト書きや抽象的な言葉が多く、真意を読み解いて演技するという行間を埋める作業が楽しいが、新人であった当初はそれを理解するのに時間がかかったと述べている[17][18]。楽しさを覚えてからは、いかに脚本を変えて監督を笑わせるかと考えており、脚本にも壊していいから好きにやれという浦沢のメッセージを感じ取るようになったという[17]
    • 東映不思議コメディーシリーズに監督・助監督として参加していた辻野正人は、浦沢の脚本について類を見ない凄さで魅力的な世界であると評しているが、辻野自身が浦沢の脚本回を担当することはなかった[19]。辻野は、新人には荷が重いので会社が気を遣ってくれていたと述べている[19]
  • 初期のテレビシリーズはハコ書きをせずに一気に書き上げていたが、アニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』ではテレビよりも長いため途中で行き詰まってしまい、それ以後実際には用いなくてもハコ書きを行うようになった[1]
  • シリーズ構成を担当する作品の脚本を、全話手掛けることも多い。業界内では全話書くのは珍しく、ある作品を担当する際に「全話書く」と言ったところ、プロデューサーが困惑し、念のために何かあった場合の為に代打として数名の脚本家を用意しておいたが、見事全話を書ききったという。「気分としては全部自分で書く方がラク。(他の脚本家と分担すると)人のホンを読まなきゃいけないからさ、そういうの苦手なんだ(笑)」という[7]
  • 「脚本を読む能力はない」と自負している[2]。『海賊戦隊ゴーカイジャー』に参加した際は、他の回の脚本を受け取っていたが読んでおらず読んでもわからないと述べている[2]。同作第24話「愚かな地球人」では、当初ゴーカイイエローを主役とした話を依頼されたが「書けない」として全く別の内容となった[2]
  • 初期は作風が理解されず『ロボット8ちゃん』第3話「僕は悪い子 怪ロボット」で「殴ってくれ打ってくれ」と頼むマゾロボットを登場させたことが社内で問題になって一時的に番組を降ろされたり[12][20]、『不思議少女ナイルなトトメス』では子供達の喧嘩の中で「子供の産めない体にしてやる」という台詞を出したためPTAから抗議を受けたことがある。
  • Vシネマ『大予言/復活の巨神』は多額の予算をかけた作品で、東映の小林義明監督は当初浦沢にシナリオを依頼。小林はその脚本を気に入ったが、諸事情により見送られ、脚本は江連卓が代わりに担当した[21]
  • スーパー戦隊シリーズ初参加にしてメインライターを務めた『激走戦隊カーレンジャー』は、敵が暴走族である、芋羊羹を食べて巨大化するなど、過去のシリーズとは大きく異なるギャグ色を全面的に押し出した内容であった。浦沢はそれまでスーパー戦隊シリーズをほとんど見たことがなく、自分好みのテイストで書いたとしている[4]。浦沢に声をかけた[12]同番組プロデューサーの髙寺成紀は浦沢に路線変更についてお伺いを立てたが、浦沢に一喝されたという。結果的に『カーレンジャー』は、年間の平均視聴率では戦隊史上ワースト2を記録したものの、初期の作風を変えることなく、ギャグ路線は最終回まで徹底して貫かれた。後に髙寺は、浦沢を「心の師匠」と呼び[22]、「その独自の笑いのセンスもさることながら、裏表がない、潔い人で、自分にとっては“こうありたい大人”の1人」と評している[23]。なお、髙寺は『仮面ライダー響鬼』でも浦沢に執筆依頼を行い、当人からプロットも貰ったが、余りにギャグテイスト満載であったため、「さすがに入りません、すみません!」と丁重にお断りを入れたという[24]
  • 『カーレンジャー』のキャッチフレーズ「戦う交通安全」は浦沢が考案した[4][25]。浦沢は気に入ったフレーズだったが、玩具の箱には特に取り上げられなかったそうで、そのことについては不満が残ったと洩らしている[4][25]。また浦沢はメーカー側には印象がよくなく、そういうコピー向きじゃなかったんだろうなと推察し、「狙いを外したなと思ってる」と語っている[25]
    • カーレンジャーを題材とした『海賊戦隊ゴーカイジャー』第14話「いまも交通安全」も執筆しているが、浦沢は当時の内容をほとんど覚えておらず、唯一気に入って覚えていたというキャッチフレーズの「戦う交通安全」を題材とした[2]。東映プロデューサーの宇都宮孝明は、浦沢が原典の設定を一番無視していると評する[26]。岸祐二も「まったく設定を忘れている」と思ったと話している[18]
  • デビュー以来ワープロは使わず、執筆は全て手書きの原稿である。携帯電話パソコンDVDプレーヤーも所有しておらず、ビデオデッキも長年壊れたままだという。テレビでアニメーションを見る習慣がないので、自身のアニメ作品は「比較的、観ない」。制作会社より作品サンプルが送られてきても、知人や息子にあげてしまう(たまに息子のPlayStation 2で見る)ともインタビューでは語っている[27]。2001年のインタビューでは「なるべく観ようとは思うんだけど、打ち合せとか次の仕事にかかってたりするから観れないことのほうが多いんだ」とも語っている[12]
  • 『がんばれいわ!!ロボコン』で久々に特撮コメディ作品を手掛けたが、試写を見て撮影がアナログからデジタルへ変化し演出がグレードアップしていることに驚いたと述べている[8]。一方で、本物の食品を使えないことや美少女の女優が顔芸を披露することなどに時代の変化を感じたという[8]
  • 『燃えろ!!ロボコン』『がんばれいわ!!ロボコン』などを手掛けているが、初代の『がんばれ!!ロボコン』には参加しておらず、当時は裏番組である『コント55号のなんでそうなるの?』の放送作家を務めていた[8]







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