波多野秀治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/20 13:51 UTC 版)
家臣
- 波多野秀香 - 波多野元秀の三男。油井酒井氏の次男として生まれ、波多野氏の養子となる。秀治の死後、八上城の総大将となったとの伝承がある。
- 酒井氏治 - 南矢代城主、高仙寺城主。大山城救援に駆けつけたが、味間付近で攻撃を受け、討死。
- 酒井氏盛 - 波多野秀香の実兄。油井城で討死。また、秀正とも名乗り、波多野秀治から「秀」の一文字を拝領している。
- 酒井信政 - 波多野氏重臣で栗栖野城主。弟の依信は八上城に籠城したが病死し、一族郎党討死した。
- 酒井氏武 - 大沢城主。丹波平定後、明智氏に従う。その後、山崎の戦いで戦死。
- 酒井依信 - 波多野氏家臣。栗栖野城城代であり、信政の死後、兄に代わって波多野秀治とともに八上城に籠城したが、病死している。
- 中沢孫十郎重基 - 大山城主。藤堂高虎に討たれる。
- 長澤義遠 - 一説に大山城主とも。伝説では波多野七組の一人とされる重臣。
- 江田行範 - 丹波国人。綾部城主。居城を羽柴秀長に落とされ、波多野氏の氷上城籠城戦に参加するも戦死した。
登場作品
脚注
参考文献
- 河野正義 編 『贈位功臣言行録』国民書院、1916年 。
- 橘川真一; 西川卓男校訂 『別所一族の興亡 「播州太平記」と三木合戦』神戸新聞総合出版センター〈のじぎく文庫〉、2004年。ISBN 4-343-00303-5。
- 谷口克広 『織田信長家臣人名辞典』(第2)吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4-642-01457-1。
- 仁木宏 著「明智光秀の丹波統一」、柴裕之 編 『明智光秀』戎光祥出版〈シリーズ・織豊大名の研究 第八巻〉、2019年。ISBN 978-4-86403-321-3。/初出:亀岡市史編さん委員会 編 『新修亀岡市史 本文編 第2巻』亀岡市、2004年。
- 福島克彦「丹波波多野氏と八上城」 『平成20年度 講座「丹波学」報告書』丹波の森公苑、2009年 。
- 福島克彦 『畿内・近国の戦国合戦』吉川弘文館〈戦争の日本史11〉、2009年。ISBN 978-4-642-06321-0。
- 細見末雄 『丹波史を探る』神戸新聞総合出版センター〈のじぎく文庫〉、1988年。ISBN 4-87521-455-3。
関連項目
注釈
- ^ 文化・文政(1804 - 1830年)頃の成立と推測[2]される軍記物『播州太平記』[3]は別所長治の妻を波多野秀治の娘としているが[4]、別所長治家臣・来野弥一右衛門により書かれた[5]『別所記(別所長治記)』[6]や織田方の史料『播州御征伐之事』[7](大村由己著)・『信長公記』[8](太田牛一著)にその記述は見られない。
- ^ ただしこれは籠城に詰めたことを賞したものとも見られ[19]、八上城外部からの支援があった証拠にはならないとも考えられる。
- ^ 『信長公記』は磔を6月4日のこととしているが、6日に京都を通るのを吉田兼見が見物していることから、『兼見卿記』の6月8日が正しいと考えられ[23]、谷口 (2010, p. 362) も6月8日としている。
出典
- ^ a b 河野 1916, p. 235.
- ^ 橘川 & 西川 2004, p. 11.
- ^ 橘川 & 西川 2004, pp. 129–214.
- ^ 橘川 & 西川 2004, p. 195.
- ^ 橘川 & 西川 2004, pp. 9–10.
- ^ 塙保己一 編「別所長治記」 『群書類従 第拾四輯』経済雑誌社、1894年、455–480頁 。
- ^ 塙保己一 編「播州御征伐之事」 『群書類従 第拾四輯』経済雑誌社、1894年、481–486頁 。
- ^ 奥野高広・岩沢愿彦校注 『信長公記』角川書店〈角川文庫〉、1969年、307–311頁。
- ^ 福島 2009a.
- ^ 福島 2009b, pp. 109–110, 114, 120.
- ^ 福島 2009b, p. 131.
- ^ 藤田達生 著「八上城とその城下町の変容」、八上城研究会 編 『戦国・織豊期城郭論 丹波国八上城遺跡群に関する総合研究』和泉書院〈日本史研究叢刊12〉、2000年、32頁。ISBN 4-87088-996-X。
- ^ a b 谷口 2010, p. 362; 細見 1988, p. 64; 福島 2009a, p. 11.
- ^ a b 谷口 2010, p. 362; 仁木 2019, pp. 208–209; 福島 2009a, p. 11.
- ^ 仁木 2019, p. 214.
- ^ 仁木 2019, pp. 217–218.
- ^ 谷口 2010, p. 362; 仁木 2019, p. 218.
- ^ 仁木 2019, p. 218.
- ^ 福島克彦「丹波波多野氏の基礎的考察(上)」『歴史と神戸』第216号、1999年。
- ^ 仁木 2019, pp. 218–220; 細見 1988, pp. 66–68; 福島 2009a, p. 11.
- ^ 久下隆史「丹波の街道から戦国の世を偲ぶ」 『平成25年度 講座「丹波学」講義録』丹波の森公苑、2014年、5頁 。
- ^ 谷口 2010, p. 362; 仁木 2019, p. 219; 細見 1988, p. 68.
- ^ 細見 1988, p. 68.
- ^ 奥田楽々斎 『多紀郷土史考 上巻』多紀郷土史考刊行会、1958年、212頁。
- ^ a b 田中貞典. “八上城の危機を救おうとした四十九院の修業僧”. 丹波篠山へのいざない. 篠山の民話集. 丹波篠山市. 2021年4月20日閲覧。
- ^ a b 奥田楽々斎 『多紀郷土史考 上巻』多紀郷土史考刊行会、1958年、212–213頁。奥田楽々斎 『多紀郷土史考 下巻』多紀郷土史考刊行会、1958年、213–214頁。
- ^ 河野 1916, 凡例1.
- ^ 河野 1916, pp. 239–240.
- ^ アルファセレクション〈公式〉 [@a_selection_pro] (2021年1月30日). "【出演情報/白畑真逸】" (ツイート). Twitterより2021年11月20日閲覧。
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