汚い戦争 民主化後の裁判

汚い戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 14:50 UTC 版)

民主化後の裁判

2005年に同国最高裁判所は、軍政下の犯罪を不問とする恩赦法に違憲判決を下した。これ以降、拉致、拷問、殺害に関与した元軍幹部らに対する有罪判決が相次いでいる。2008年終身刑判決を受けたルシアーノ・ベンハミン・メネンデス英語版元司令官は、「共産主義から国家を守るための戦争に従事した軍司令官を罰するのは間違いだ」と主張した。

2011年12月にビデラは大統領在任中の人権侵害の罪で終身刑の判決を受けた。2012年4月にビニョーネも56人を誘拐、拷問した罪を問われ、禁錮25年の有罪判決を受けた。これに加えて、両者は2012年7月に、政治犯の囚人から赤ん坊を略取、隠匿した罪によりそれぞれ禁錮50年、禁錮15年の刑が加算されている[4]

資金源

資金源としてフリーメイソンのロッジであることを隠れ蓑に反共主義を掲げイタリアを中心に活動していた「ロッジP2」による不法な資金調達と[注 1]第二次世界大戦下のドイツで行われていた偽ポンド札の偽造計画「ベルンハルト作戦」の関係者で、戦後親ドイツのペロンが政権を握ったアルゼンチンに亡命したドイツ人達による偽造ポンド紙幣が大きな割合いを占めると指摘されている。

アメリカ政府の関与

アルゼンチンの治安部隊と「死の部隊」は、「コンドル作戦 (Operation Condor)」において、他の南米の軍事独裁国家と協力して行動していた。アメリカ政府は軍事政権に対して軍事物資と資金の援助をおこなっていた。アメリカで公開された政府文書によると、ヘンリー・キッシンジャーは外務大臣に対して、アメリカの議会が支援を停止する前に「内戦」にけりをつけるように求めていた。

カトリック教会への批判

アルゼンチンにおけるカトリック教会およびその指導者の「汚い戦争」に対する対応を批判する声が存在する。ブラジルやチリでの軍事政権の弾圧にそれぞれの国のカトリック教会が立ち向かった一方で、アルゼンチンのカトリック教会は軍事政権を支持し、信者に対して「国を愛する」よう求めていた。当時「汚い戦争」に対し異議を唱えた者は「破壊分子」のレッテルを貼られる恐れがあった。軍事政権を批判し殺害された司祭司教がいる一方で、大多数の教会関係者は口を閉ざしたままだった[5][6]

「汚い戦争」の期間中にエンリケ・アンヘレッリ(Enrique Angelelli)とカルロス・ポンセ・デ・レオン(Carlos Ponce de León)の2人の司教と17人の司祭が軍事政権により殺害された[7]。2013年2月に下された判決において裁判官は、教会組織が司祭の殺害から「目を背けた」と批判した[5]。1976年に殺害された司教エンリケ・アンヘレッリに関する裁判では、軍事政権の迫害に教会の同意があったと指摘された。軍事政権の指導者の一人であるホルヘ・ラファエル・ビデラは2012年、教会の指導者たちは政府による弾圧の共犯者だったと証言した[6]

1976年から1983年にかけて警察署付きの司祭であったクリスチャン・フォン・ヴェルニッヒ(Christian von Wernich)は囚人の拷問、殺害に直接関わっていた。民主化後1985年に行われた裁判において彼は容疑を否認した。1986年に汚い戦争における犯罪の追求を停止する法律が公布されると彼に対する捜査も打ち切られた。この法律が憲法に違反しているとの判断がくだされた後、2003年9月にヴェルニッヒに対する逮捕状が出され、チリの町でクリスチャン・ゴンザレスとの偽名を使い潜伏していたヴェルニッヒは逮捕された。2007年10月にヴェルニッヒは7件の殺人、42件の誘拐、32件の拷問の罪で有罪となり終身刑がくだされた。カトリック教会のヴェルニッヒに対する処分は2010年時点でも行われておらず刑務所の中で囚人に対してミサをおこなっていた[8][9]

2000年にアルゼンチン司教評議会は、軍事政権に対して反対の立場を示さず市民を庇護しなかったことを謝罪する声明を発表した[5][6]


注釈

  1. ^ その後これらの不法活動が暴露され、フリーメイソンから破門された。

出典

  1. ^ 幡谷則子「ラテンアメリカの民衆社会運動 ; 抵抗 要求行動から市民運動へ」(PDF)『開発と社会運動 ; 先行研究の検討』第6巻、アジア経済研究所、2007年、139頁、CRID 1572824500604761600 
  2. ^ 多数の政治犯を生きたまま海に突き落とす、70年代独裁政権「死のフライト」機をアルゼンチンに返還(字幕・25日)ロイター 2023年6月26日
  3. ^ 汚い戦争とは?”. コトバンク. 2023年7月6日閲覧。
  4. ^ 軍事独裁下で赤ん坊を奪った罪で元大統領に禁錮50年、アルゼンチン”. CNN News. CNN (2012年7月6日). 2012年7月7日閲覧。
  5. ^ a b c Goni, Uki (2013年3月14日). “Pope Francis: questions remain over his role during Argentina's dictatorship”. The Guardian. http://www.guardian.co.uk/world/2013/mar/14/pope-francis-argentina-military-junta 2013年3月19日閲覧。 
  6. ^ a b c Macintyre, Ben (2013年3月18日). “Pope must clean himself of history's stain”. The Australian. http://www.theaustralian.com.au/news/world/pope-must-clean-himself-of-historys-stain/story-fnb64oi6-1226599298237 2013年3月19日閲覧。 
  7. ^ Gamerro, Carlos (2013年3月15日). “Pope Francis, the Disappeared, and the Questions That Won’t Vanish”. Wall Street Journal. http://blogs.wsj.com/speakeasy/2013/03/15/pope-francis-the-disappeared-and-the-questions-that-wont/ 2013年3月19日閲覧。 
  8. ^ BARRIONUEVO, ALEXEI (2007年9月17日). “Argentine Church Faces ‘Dirty War’ Past”. New York Times. http://www.nytimes.com/2007/09/17/world/americas/17church.html 2013年3月19日閲覧。 
  9. ^ Romero, Simon (2013年3月17日). “Starting a Papacy, Amid Echoes of a ‘Dirty War’”. New York Times. http://www.nytimes.com/2013/03/18/world/americas/francis-begins-reign-as-pope-amid-echoes-of-argentinas-dirty-war.html?pagewanted=all 2013年3月19日閲覧。 


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