武田氏信 武田氏信の概要

武田氏信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/06 23:20 UTC 版)

 
武田氏信
時代 室町時代
生誕 応長2年1月2日1312年2月9日[1]
死没 天授6年/康暦2年5月8日1380年6月11日[1]
改名 徳光丸(幼名)、氏信、信頼
別名 直信[2]、太郎[2]、光誠(法名)[2]
官位 伊豆守、日向守、刑部大輔、刑部少輔[2]、兵庫助[3]、兵庫頭[2]、甲斐守[2]
幕府 室町幕府 安芸守護→分郡守護
氏族 武田氏
父母 父:武田信武[2]、母:二階堂行藤の娘[1]
兄弟 信成[2]氏信
信在[2]
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生涯

応長2年(1312年)1月2日、甲府の館にて生まれる[1]幼名は徳光丸[1]元亨2年(1322年3月15日足利貞氏烏帽子親として元服、「氏」の偏諱を与えられて、初め氏信と名乗った[注釈 2]。のち信頼(のぶより)と改名した[注釈 3][注釈 4]

南北朝時代の動乱で北朝(貞氏の子・足利尊氏)側に付いた父の信武は、その戦功により、建武3年(1336年)に安芸守護職を与えられ(及び翌4年(1337年)に甲斐守護職も兼任した)、安芸国の佐東銀山城を拠点に南朝側勢力と戦っていた。観応元年(1350年)に室町幕府の内訌(観応の擾乱)が発生すると、信武は引き続き尊氏を支持するが、安芸国人の寺原時親・山県十郎・山県為継・壬生道忠・毛利親衡らは、対立する足利直義(尊氏の弟)の養子足利直冬(尊氏の庶子)の一派として挙兵した。信武は安芸に氏信を派遣し、同じく尊氏派の吉川実経らと共に、西条・吉田の戦いで直冬派の軍勢を破り、寺原時親の籠もる寺原城や余谷城、山県為継、壬生道忠らの籠る猿喰城を攻略したが、毛利親衡が籠もる日下津城は落とすことができなかった[6]

延文4年(1359年)には信武が没しているが、これと前後して甲斐守護職を兄の信成が、安芸守護職を氏信が継承し、氏信は安芸武田氏の創始者となった。しかし、安芸国内での直冬派との戦いは続き、さらには周防国長門国を支配する南朝方勢力の大内弘世も安芸に進出し始めていた。最終的に、文和4年(1355年)に直冬は京周辺での戦いで敗走、大内弘世は貞治2年(1363年)頃には北朝に帰順して防長の守護識に任命されたが、安芸での直冬派討伐(及び南朝方の大内氏の牽制[7])ができなかった責任を問われる形で、応安元年(1368年)、氏信は幕命により守護職を解任されている。

後任の安芸守護識には今川貞世(了俊)が任じられる(九州探題や他の守護職と兼任)。氏信は幕府に対しての不満から、了俊の征西府打倒参加の呼び掛けに応じず[8]、また安芸国にある国衙領押領した[8]。幕府は太田川流域に強固な地盤を有する氏信が背くのを恐れ[8]永和4年(1378年)に、佐東銀山城のある佐東郡[注釈 5]分郡守護に任じたが、氏信は翌年には隠居した。

なお、氏信は寺社への社領寄進を数多く行っている。天授6年/康暦2年(1380年)5月8日に死去し、跡を子の武田信在が継いだ[1]

脚注


注釈

  1. ^ (国書刊行会編 1915, §甲斐信濃源氏綱要)では信成を「信武二男」とし、氏信をその同母兄、すなわち信武の長男として扱っている。また、黒田基樹の論文「鎌倉期の武田氏」では、父と同じ伊豆守を名乗った氏信が嫡子で、信成は庶子であったと推定している[4]
  2. ^ (国書刊行会編 1915, §甲斐信濃源氏綱要)の氏信項に
    元亨二年三月十五首服十一)、加冠足利讃岐守貞氏、如例請名、號名氏信
    とある。
  3. ^ ~世界帝王事典~ 武田氏(外部リンク)、武田家人名録 - 武将系譜辞典(外部リンク)より。
  4. ^ 『鎌倉・室町人名事典』では改名後のを「信成」とするが[5]、これは武田信成のことであり、本項の氏信とは別人である。
  5. ^ 江戸時代沼田郡に改称される。佐東町も参照のこと。

出典

  1. ^ a b c d e f 国書刊行会編 1915, §甲斐信濃源氏綱要.
  2. ^ a b c d e f g h i 今井尭ほか編 1984, p. 324.
  3. ^ 西川広平「南北朝期 安芸・甲斐武田家の成立過程について」(初出:中央大学文学部『紀要』史学65(2020年)/所収:西川広平 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第三二巻 甲斐源氏一族』(戎光祥出版、2021年) ISBN 978-4-86403-398-5)P301.
  4. ^ 黒田 2016.
  5. ^ 安田 1990, p. 378, 関幸彦「武田氏信」」.
  6. ^ 日下津城城址説明板(向原町教育委員会、向原町文化財保護審議会)より。
  7. ^ 吉田龍司 2010, p. 17.
  8. ^ a b c 高野賢彦 2006.


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